新宿本店&グランフロント大阪店で開催中!「達人の三冊~図書新聞2013上半期読書アンケート特集号フェア~」
紀伊國屋書店では、ただいま新宿本店とグランフロント大阪店、2店舗にて
『図書新聞』上半期読書アンケート特集号フェアを大好評開催中です!

★図書新聞からのメッセージ★図書新聞は1949年(昭和24年)創刊の「週刊書評紙」です。
当紙は年に2回、評論家や作家の方々にアンケートをお願いしています。半期の間に印象に残った、"ジャンル不問の3冊"を挙げていただくという
当企画は、年間を通じもっとも人気のある号です。
今年は46名の方から回答を頂戴でき、その結果がここに集結しています。
皆さまが既にお読みなった本もあれば、その存在すら知らなかった本もあるのでは?
新聞には、各人の選書コメントを掲載しています。
「達人」ならではのセレクトをぜひ、ご堪能ください!

グランフロント大阪店
3号カウンター前フェア台にて展開中です!!
開催期間:2013年7月16日(火)~8月11日(日)
★ ★ ★ ★ ★
新宿本店
3階人文書売場フェア台にて展開中です!!開催期間:2013年7月12日(金)~8月11日(日)
★ ★ ★ ★ ★
★読書の達人46名によるアンケート選評
アンケートの一部をここに紹介いたします!
小倉英敬氏(ラテンアメリカ思想史)
両著者が『帝国』、『マルチチュード』『コモンウェルス』等において論じてきた「マルチチュード」の集団的在り方を、2011年に発生したスペインの「M15運動」やニューヨークの「ウォール街占拠運動」に見られた自然発生的でリーダー不在の民衆運動に見ることで、このような運動を形骸化した代議制民主主義に対する選択肢として提起した書である。また、ラテンアメリカの脱「新自由主義」諸政権と社会運動との関係に関しては、「協働的ないし敵対的な関係性を保つこと」で、「政府=統治のメカニズムが協治のプロセスへと生成変化せざるをえなくなる」と、政府の行動の指導的な側面を変容させる働きが始動することになったと指摘している。現代的な新しい現象をどのように位置づけるのか、示唆に富む指摘である。
両著者が『帝国』、『マルチチュード』『コモンウェルス』等において論じてきた「マルチチュード」の集団的在り方を、2011年に発生したスペインの「M15運動」やニューヨークの「ウォール街占拠運動」に見られた自然発生的でリーダー不在の民衆運動に見ることで、このような運動を形骸化した代議制民主主義に対する選択肢として提起した書である。また、ラテンアメリカの脱「新自由主義」諸政権と社会運動との関係に関しては、「協働的ないし敵対的な関係性を保つこと」で、「政府=統治のメカニズムが協治のプロセスへと生成変化せざるをえなくなる」と、政府の行動の指導的な側面を変容させる働きが始動することになったと指摘している。現代的な新しい現象をどのように位置づけるのか、示唆に富む指摘である。
新城郁夫氏(沖縄/日本文学)
淡々とした筆致が、緻密な実証資料を繋ぎとめこれを交差させていく。その営みのなかから、「戦後」沖縄のごく早い時期の、米軍基地をめぐる人々の葛藤が鮮やかに浮かび上がってくる。とくに、「難民」化を強いられた沖縄の人々の有形無形の移ろいを、収容所生活や基地労働あるいは軍用地をめぐる主体化の軌跡として検証する鳥山の思考は、強い説得力を持つ。戦後沖縄を考える際の必読の一冊となる。
淡々とした筆致が、緻密な実証資料を繋ぎとめこれを交差させていく。その営みのなかから、「戦後」沖縄のごく早い時期の、米軍基地をめぐる人々の葛藤が鮮やかに浮かび上がってくる。とくに、「難民」化を強いられた沖縄の人々の有形無形の移ろいを、収容所生活や基地労働あるいは軍用地をめぐる主体化の軌跡として検証する鳥山の思考は、強い説得力を持つ。戦後沖縄を考える際の必読の一冊となる。
坂野徹氏(科学史・人類学史)
クーン『科学革命の構造』の翻訳者・紹介者として知られ、戦後日本の科学史研究をリードしてきた第一人者の回想録。ブログ連載中から関係者の間で密かに話題になっていたものが、ついに本となった。広島での被爆体験から、戦後間もない時期のハーバード留学、東大「万年講師」となった顛末と苦悩(ここは関係者を何人か知っているだけに少々複雑)、クーンやニーダムをはじめとする世界各国の著名研究者との友誼、知識人としての幅広い活動まで。著者の記録は、戦後日本の大学、知識人、社会運動、メディアなどの歴史に関する貴重な証言となっている。
クーン『科学革命の構造』の翻訳者・紹介者として知られ、戦後日本の科学史研究をリードしてきた第一人者の回想録。ブログ連載中から関係者の間で密かに話題になっていたものが、ついに本となった。広島での被爆体験から、戦後間もない時期のハーバード留学、東大「万年講師」となった顛末と苦悩(ここは関係者を何人か知っているだけに少々複雑)、クーンやニーダムをはじめとする世界各国の著名研究者との友誼、知識人としての幅広い活動まで。著者の記録は、戦後日本の大学、知識人、社会運動、メディアなどの歴史に関する貴重な証言となっている。
中金聡氏(政治哲学)
原題のSwerveとは、虚空を垂直に等速落下するエピクロスの原子がその軌道から予期せず「逸れる」ことをいう。その記述を含むルクレティウスの写本は、ルネサンス期のブックハンターによって僧院でたまたま発見され、その波紋は世界を思いもかけなかった方向へとつき動かしていく。数々の偶然から近代がはじまる次第を虚実取り混ぜて解き明かす。
原題のSwerveとは、虚空を垂直に等速落下するエピクロスの原子がその軌道から予期せず「逸れる」ことをいう。その記述を含むルクレティウスの写本は、ルネサンス期のブックハンターによって僧院でたまたま発見され、その波紋は世界を思いもかけなかった方向へとつき動かしていく。数々の偶然から近代がはじまる次第を虚実取り混ぜて解き明かす。
細見和之氏(ドイツ思想)
一九九〇年に原書が刊行されたアドルノ論、待望の翻訳。著者は、アドルノの思想は一九八〇年代という時代状況のなかでようやくタイムリーになったと語る。私たちはさらにその四半世紀のちを生きている。「ポストモダン」という言葉はもはや郷愁さえ帯びている。むしろ本書を、「新自由主義」という名の自然史イデオロギーと闘う武器としたい。
一九九〇年に原書が刊行されたアドルノ論、待望の翻訳。著者は、アドルノの思想は一九八〇年代という時代状況のなかでようやくタイムリーになったと語る。私たちはさらにその四半世紀のちを生きている。「ポストモダン」という言葉はもはや郷愁さえ帯びている。むしろ本書を、「新自由主義」という名の自然史イデオロギーと闘う武器としたい。
野上暁氏(子ども文化研究)
15年戦争下に成立した日本のマンガとアニメーションの様式は、アメリカニズムのソビエト的方法による達成だと詳細に分析し、それが世界に受容される要因であるとする。具体的な作品や珍しい図版をたくさん紹介しながら、日本のマンガ・アニメ史に一石を投ずる、貴重な一冊である。
15年戦争下に成立した日本のマンガとアニメーションの様式は、アメリカニズムのソビエト的方法による達成だと詳細に分析し、それが世界に受容される要因であるとする。具体的な作品や珍しい図版をたくさん紹介しながら、日本のマンガ・アニメ史に一石を投ずる、貴重な一冊である。
小倉孝誠氏(フランス文学・文化史)
フランス十九世紀末の文学をめぐる本格評論。ユイスマンスを中心に、ジャン・ロラン、ラシルドなど日本では馴染みの薄い作家も射程に収めながら、身体性、ヒステリー、霊媒現象などが鮮やかな手さばきで分析されている。世紀末=デカダンスという紋切り型を払拭してくれる一冊。
フランス十九世紀末の文学をめぐる本格評論。ユイスマンスを中心に、ジャン・ロラン、ラシルドなど日本では馴染みの薄い作家も射程に収めながら、身体性、ヒステリー、霊媒現象などが鮮やかな手さばきで分析されている。世紀末=デカダンスという紋切り型を払拭してくれる一冊。
郷原宏氏(文芸批評)
日本を代表する三人の社会学者による鼎談中国論。中国はそもそも「国家」なのかという基本的なところから論じはじめて、今後の日中関係のあり方にまで説き及ぶ。論証が具体的なので話がいちいち腑に落ちる。
日本を代表する三人の社会学者による鼎談中国論。中国はそもそも「国家」なのかという基本的なところから論じはじめて、今後の日中関係のあり方にまで説き及ぶ。論証が具体的なので話がいちいち腑に落ちる。
四方田犬彦氏(映像論・比較文学)
1936年にブカレストで刊行され、著者によってその後厳重に封印されていた憂国論文集。4年前にようやく仏訳が出た。民衆文化しか創造できない小国ルーマニアへの憎悪愛が、著者をヒトラー讃美へと向かわせる。大国の最下層から這い出たセリーヌの『苦境』と同時期の著作として、比較してみたい。二人は同い年である。当時の日本の知識人が叫んでいた、日本の「世界史的使命」とも。わたしは深い感動をもって読み終えた。
1936年にブカレストで刊行され、著者によってその後厳重に封印されていた憂国論文集。4年前にようやく仏訳が出た。民衆文化しか創造できない小国ルーマニアへの憎悪愛が、著者をヒトラー讃美へと向かわせる。大国の最下層から這い出たセリーヌの『苦境』と同時期の著作として、比較してみたい。二人は同い年である。当時の日本の知識人が叫んでいた、日本の「世界史的使命」とも。わたしは深い感動をもって読み終えた。
竹中佳彦氏(政治学・日本政治論)
一九四二年に成立した食糧管理法は、九五年の廃止まで戦後農政の基幹にあり、非効率部門を過剰に保護する「一九四〇年体制」=戦時体制の所産とされた。そうだとすればGHQや政党、新聞からの批判にさらされた食管体制がなぜ存続したのか。本書は、農林省食糧管理局が、食管体制の存続と強化をめぐって主導的な役割を演じ、敗戦直後の食糧危機を克服していったことを地道に描き出している。
一九四二年に成立した食糧管理法は、九五年の廃止まで戦後農政の基幹にあり、非効率部門を過剰に保護する「一九四〇年体制」=戦時体制の所産とされた。そうだとすればGHQや政党、新聞からの批判にさらされた食管体制がなぜ存続したのか。本書は、農林省食糧管理局が、食管体制の存続と強化をめぐって主導的な役割を演じ、敗戦直後の食糧危機を克服していったことを地道に描き出している。
中村邦生氏(作家)
一休のエロティシズムを自在に論じた永田耕衣の評論の記憶を重ねつつ読み進めたが、たちまちそれらは背景に退いた。本書は精緻な読みと慎重な仮説で資料を読み解き、一休の虚像と実像を剔抉する。〈仏界、入り易く、魔界、入り難し〉と、まさに入り難い「魔界」を生きた一休像に小説的興趣すら覚えた。
一休のエロティシズムを自在に論じた永田耕衣の評論の記憶を重ねつつ読み進めたが、たちまちそれらは背景に退いた。本書は精緻な読みと慎重な仮説で資料を読み解き、一休の虚像と実像を剔抉する。〈仏界、入り易く、魔界、入り難し〉と、まさに入り難い「魔界」を生きた一休像に小説的興趣すら覚えた。
安田敏朗氏(近代日本言語史)
原著は一九九二年刊。このころ日本で英語帝国主義論がはやった。先頭にたっていたのは大学の英語の先生が多かったが、なぜかこの本の翻訳にはかかわっていない。「日本語を英語から防衛せよ!」と絶叫する人や、グローバリゼーションの名のもとで学校の英語教育偏重に拍車がかかっている現状をみるにつけ、いまこそきちんと「打倒英語帝国主義」をとなえるべきではないのか。そのときに本書の議論は有効である。
原著は一九九二年刊。このころ日本で英語帝国主義論がはやった。先頭にたっていたのは大学の英語の先生が多かったが、なぜかこの本の翻訳にはかかわっていない。「日本語を英語から防衛せよ!」と絶叫する人や、グローバリゼーションの名のもとで学校の英語教育偏重に拍車がかかっている現状をみるにつけ、いまこそきちんと「打倒英語帝国主義」をとなえるべきではないのか。そのときに本書の議論は有効である。
井川博年氏(詩人)
いまの時代、もっとも良質な詩は、こういう日常を語ったエッセイの中にしかない。そのことをしみじみ思い起こさせてくれるのが、川本三郎のこの「独り居の日記」である。本を読み、映画を見る、町を歩く(これらは仕事の内だが)、それに家事もする。妻を亡くしても、人生はつづく。どんな時にあっても、人は生き続けなくてはならない。生活の些事が人を生かす。
いまの時代、もっとも良質な詩は、こういう日常を語ったエッセイの中にしかない。そのことをしみじみ思い起こさせてくれるのが、川本三郎のこの「独り居の日記」である。本を読み、映画を見る、町を歩く(これらは仕事の内だが)、それに家事もする。妻を亡くしても、人生はつづく。どんな時にあっても、人は生き続けなくてはならない。生活の些事が人を生かす。
金森修氏(哲学)
可視と不可視の境界を巡る諸問題を、文学、思想、映像作品などの異分野を横断しながら論じようとする。これは高次のキアスマ論だ。その際導入される「没視覚性」という概念は、正直やや分かりにくい。ともあれ、この本の強みは、その種の概念仕立てよりも、彼が注目する具体例の多様さとその編成の巧みさにある。また視覚や光という話題の後ろに控える原爆の炸裂という心象が論の縦糸を作っており、不穏な雰囲気が漂っている。
可視と不可視の境界を巡る諸問題を、文学、思想、映像作品などの異分野を横断しながら論じようとする。これは高次のキアスマ論だ。その際導入される「没視覚性」という概念は、正直やや分かりにくい。ともあれ、この本の強みは、その種の概念仕立てよりも、彼が注目する具体例の多様さとその編成の巧みさにある。また視覚や光という話題の後ろに控える原爆の炸裂という心象が論の縦糸を作っており、不穏な雰囲気が漂っている。
古賀徹氏(哲学)
モイシェ・ポストンの『時間・労働・支配』によると、 資本主義の問題は労働であり、それによって作り出される価値それ自体に凝縮しているという。著者の分析の通り、商品のうちに投下された労働時間であるはずの「価値」のうちに、すでに社会的支配が食い込んでいるとするならば、人々の時間はすでに労働において社会的に評価され編集されていることになる。 このように労働が時間の評価=生成の現場だとすれば、資本主義を乗り越えるには、その「労働」から解放された人間の行為の理論、富の創造の理論を考えなければならない。著者のように考えるなら、それは昨今の地域デザインや社会関係資本といった発想のなかでマルクス主義を再生できるだろう。それを果たしてマルクス主義と呼べるかどうかは別として。
モイシェ・ポストンの『時間・労働・支配』によると、 資本主義の問題は労働であり、それによって作り出される価値それ自体に凝縮しているという。著者の分析の通り、商品のうちに投下された労働時間であるはずの「価値」のうちに、すでに社会的支配が食い込んでいるとするならば、人々の時間はすでに労働において社会的に評価され編集されていることになる。 このように労働が時間の評価=生成の現場だとすれば、資本主義を乗り越えるには、その「労働」から解放された人間の行為の理論、富の創造の理論を考えなければならない。著者のように考えるなら、それは昨今の地域デザインや社会関係資本といった発想のなかでマルクス主義を再生できるだろう。それを果たしてマルクス主義と呼べるかどうかは別として。
小森健太朗氏(ミステリ作家)
これは単なるアニメの原画集でなく、一枚一枚の絵が豊かな物語を内包した読める画集である。写実的な画風でなく、手塚治虫を源流とする漫画タッチの絵柄から出発した安彦が、それでいてこれだけ奥行きをもって微細な感情の襞を描き分けられる描き手であるのは、ひとつの驚異である。数ある絵師の中で安彦が孤絶しているのは、後継的な画風の者がほとんど見当たらないことにも表れているが、この本はその秘密の一端をかいま見せてくれる。
これは単なるアニメの原画集でなく、一枚一枚の絵が豊かな物語を内包した読める画集である。写実的な画風でなく、手塚治虫を源流とする漫画タッチの絵柄から出発した安彦が、それでいてこれだけ奥行きをもって微細な感情の襞を描き分けられる描き手であるのは、ひとつの驚異である。数ある絵師の中で安彦が孤絶しているのは、後継的な画風の者がほとんど見当たらないことにも表れているが、この本はその秘密の一端をかいま見せてくれる。
上村忠男氏(学問論・思想史)
微力ながらもジョージ・スタイナーのいう脱領域的な思想史研究をめざしてきた者にとって、本書は一九七五年に晶文社から刊行された日本語訳で接して以来手本のひとつでありつづけている。このたびのちくま学芸文庫本に寄せられた高山宏の解説も、本書を〈いま〉読むことの意味について熱っぽく論じていて、共感するところが少なくなかった。
微力ながらもジョージ・スタイナーのいう脱領域的な思想史研究をめざしてきた者にとって、本書は一九七五年に晶文社から刊行された日本語訳で接して以来手本のひとつでありつづけている。このたびのちくま学芸文庫本に寄せられた高山宏の解説も、本書を〈いま〉読むことの意味について熱っぽく論じていて、共感するところが少なくなかった。
天笠啓祐氏(ジャーナリスト)
その豊富な調査とデータに圧倒される。チェルノブイリ事故から27年がたったが、その被害の全容が分かり始めたのは最近のことである。本書を読むと、福島第一原発事故も27年後にはどうなっているだろうか、と考えてしまう。
その豊富な調査とデータに圧倒される。チェルノブイリ事故から27年がたったが、その被害の全容が分かり始めたのは最近のことである。本書を読むと、福島第一原発事故も27年後にはどうなっているだろうか、と考えてしまう。
澤田直氏(フランス思想・文学)
大学での研究はますます細分化され、緻密ではあっても、小粒になっていく。本質的な問題をもっとダイナミックに考えたいと思いながら、果たせずにいるのだが、戦後すぐの時期には、重厚な問題に軽やかなフットワークで取り組んだ、鶴見俊輔、花田清輝、きだみのるなどの思想家がいた。上野さんの『思想の不良たち』は、そんな彼らのポートレイトを活写していて、読んでいてとても元気が出た。そう、学者はもっと不良になるべきなのだ。
大学での研究はますます細分化され、緻密ではあっても、小粒になっていく。本質的な問題をもっとダイナミックに考えたいと思いながら、果たせずにいるのだが、戦後すぐの時期には、重厚な問題に軽やかなフットワークで取り組んだ、鶴見俊輔、花田清輝、きだみのるなどの思想家がいた。上野さんの『思想の不良たち』は、そんな彼らのポートレイトを活写していて、読んでいてとても元気が出た。そう、学者はもっと不良になるべきなのだ。
鈴木創士氏(フランス文学)
どうしてわれわれの評論の現状はこれほど惨憺たるものになってしまったのだろうか。音楽評論しかり、文学評論しかり、美術評論しかり。当時、私は間章の忠実な読者であったなどとは到底言えないが、それでも彼の文章を、外国人を含めて他の書き手たちのものと同じように読んでいたし、読むことができた。いまでも、70年代初頭のフランスの歌手ブリジット・フォンテーヌのライナーノーツが忘れられない。
どうしてわれわれの評論の現状はこれほど惨憺たるものになってしまったのだろうか。音楽評論しかり、文学評論しかり、美術評論しかり。当時、私は間章の忠実な読者であったなどとは到底言えないが、それでも彼の文章を、外国人を含めて他の書き手たちのものと同じように読んでいたし、読むことができた。いまでも、70年代初頭のフランスの歌手ブリジット・フォンテーヌのライナーノーツが忘れられない。
天野知香氏(美術史/視覚表象分析)
映像表象の分析と彼女の理論が一体となったとても竹村さんらしい、見事な本。頁をめくる度に、彼女の鋭い知性と豊かな想像力に裏打ちされた、比類ない議論が息を吹き返し、語りかける。没後一周忌に出版されたこの本について、竹村さんは「美しい本を作ってほしい」と望んだとあとがきで記されているが、ガルボの表紙を伴った本書の外観のみならず、ここにおさめられた彼女の言葉それ自体がこの上なく「美しい」本を作り上げていると言うべきだろう。
映像表象の分析と彼女の理論が一体となったとても竹村さんらしい、見事な本。頁をめくる度に、彼女の鋭い知性と豊かな想像力に裏打ちされた、比類ない議論が息を吹き返し、語りかける。没後一周忌に出版されたこの本について、竹村さんは「美しい本を作ってほしい」と望んだとあとがきで記されているが、ガルボの表紙を伴った本書の外観のみならず、ここにおさめられた彼女の言葉それ自体がこの上なく「美しい」本を作り上げていると言うべきだろう。
荒川洋治氏(現代詩作家)
ブッツァーティの作品は、どちらの一冊もいい。短編「大護送隊襲撃」は五種類くらいの人間の悲哀がおりこまれる。密度の高さに、息をのむ。「水滴」は、集中の白眉。ことばの一滴にも、他にはない才能が示される。それも、とても「さわやかな」才能なのだ。こういう人はどの国にも、どの時代にも何人もいないように思う。
ブッツァーティの作品は、どちらの一冊もいい。短編「大護送隊襲撃」は五種類くらいの人間の悲哀がおりこまれる。密度の高さに、息をのむ。「水滴」は、集中の白眉。ことばの一滴にも、他にはない才能が示される。それも、とても「さわやかな」才能なのだ。こういう人はどの国にも、どの時代にも何人もいないように思う。
鈴木一誌氏(ブックデザイン)
軟派系文人の書籍や雑誌を、専門書ふうにではなく、夜店や露店の「カーバイトの光」で照らしながら渉猟する。ここでのテクストは、透明だとは見なされず、造本や紙の風合い、インキの匂いの領野に放たれる。「粋」とは、純度の高さではなく、清濁の巧みなブレンドの謂なのだ。「物語」を孕んでしまう「描写」のように。
軟派系文人の書籍や雑誌を、専門書ふうにではなく、夜店や露店の「カーバイトの光」で照らしながら渉猟する。ここでのテクストは、透明だとは見なされず、造本や紙の風合い、インキの匂いの領野に放たれる。「粋」とは、純度の高さではなく、清濁の巧みなブレンドの謂なのだ。「物語」を孕んでしまう「描写」のように。
青木孝平氏 (社会哲学・経済思想)
約七〇年に及ぶ壮大な日本の戦後史を、労働の崩壊、家族の変容、消費のアメリカ化をキーワードにして緻密かつ実証的にたどる。映画・アニメ・小説・歌謡などサブカルチャーの文化社会学的分析が時代の変遷を正確に写し出し、現代日本人の屈折し孤立した自画像のスケッチが「幸せ」という反語に不思議な説得力を与えている。
約七〇年に及ぶ壮大な日本の戦後史を、労働の崩壊、家族の変容、消費のアメリカ化をキーワードにして緻密かつ実証的にたどる。映画・アニメ・小説・歌謡などサブカルチャーの文化社会学的分析が時代の変遷を正確に写し出し、現代日本人の屈折し孤立した自画像のスケッチが「幸せ」という反語に不思議な説得力を与えている。
中井久夫氏(精神科医)
『書物としての新約聖書』以来の読者である。とにかく読んでいます。
『書物としての新約聖書』以来の読者である。とにかく読んでいます。
天沢退二郎氏(詩人)
カフカやジュリアン・グラックなどの文学作品に触発されながら大胆に展開されたSF劇画で、とくに、時間軸上の構造と立体的なオブジェや色彩や地霊的構造とが不可逆的に編み合わされているのが興味をそそってやまない(第Ⅳ部も、今期中に刊行が予定されている)。
カフカやジュリアン・グラックなどの文学作品に触発されながら大胆に展開されたSF劇画で、とくに、時間軸上の構造と立体的なオブジェや色彩や地霊的構造とが不可逆的に編み合わされているのが興味をそそってやまない(第Ⅳ部も、今期中に刊行が予定されている)。
柏木博氏(デザイン評論)
講談社の月刊PR誌『本』の連載をまとめたものである。この連載は、現在も続いている。まさに現在を表象する作品を著者がセレクトし、それについて短い批評を付している。時代の意識がどこにあるのかを、速度感のある言葉で読み取り刺激的な本となっている。
講談社の月刊PR誌『本』の連載をまとめたものである。この連載は、現在も続いている。まさに現在を表象する作品を著者がセレクトし、それについて短い批評を付している。時代の意識がどこにあるのかを、速度感のある言葉で読み取り刺激的な本となっている。
布野修司氏(建築批評)
震災復興まちづくりにも奮闘する、「まちづくり伝道師」を自称する著者のまちづくりの「術語集」。もちろん、法律用語や行政用語が並ぶのではなく、まちづくりに力を与える、経験に裏打ちされた言葉の束である。言葉の連鎖が興味深い。
震災復興まちづくりにも奮闘する、「まちづくり伝道師」を自称する著者のまちづくりの「術語集」。もちろん、法律用語や行政用語が並ぶのではなく、まちづくりに力を与える、経験に裏打ちされた言葉の束である。言葉の連鎖が興味深い。
加藤一夫氏(ナショナリズム論)
「核密約」を追求してきたジャーナリストによる「核の傘」と「日米核同盟」の内実。日本のジャーナリズムもまだ捨てたものではない。
「核密約」を追求してきたジャーナリストによる「核の傘」と「日米核同盟」の内実。日本のジャーナリズムもまだ捨てたものではない。
飯城勇三氏(ライター)
漫画だが、この作者の超絶技巧は、小説ファンにこそ読んでほしい。「さいこうのプレゼント」の仕掛けなど、ミステリファンでないと気づかないのでは? また、オムニバス形式ではあるが、各短篇間に隠されたつながりもあるので、1~4巻も併せて読んでほしい。
漫画だが、この作者の超絶技巧は、小説ファンにこそ読んでほしい。「さいこうのプレゼント」の仕掛けなど、ミステリファンでないと気づかないのでは? また、オムニバス形式ではあるが、各短篇間に隠されたつながりもあるので、1~4巻も併せて読んでほしい。
塚原史氏(表象文化論・現代思想)
アルチュール・ランボーをめぐる詩人と版画家のコラボレーションの記録であり、イメージが言葉を追いつめる静かな興奮が追体験される傑作。
アルチュール・ランボーをめぐる詩人と版画家のコラボレーションの記録であり、イメージが言葉を追いつめる静かな興奮が追体験される傑作。
崎山政毅氏(ラテンアメリカ思想史)
定点観測の極みともいえる現地調査と、厖大な資料を読み込む気の遠くなるような作業が縒りあわされた、圧倒的な労作。なにゆえにアメリカ人類学は資本主義の浸透という意味での「社会進展」と、「閉鎖性」を特質とする「伝統」という異なるヴェクトルを、同じ対象地の同じデータから読みだし得たのか。上質の知的ミステリーでもある。
定点観測の極みともいえる現地調査と、厖大な資料を読み込む気の遠くなるような作業が縒りあわされた、圧倒的な労作。なにゆえにアメリカ人類学は資本主義の浸透という意味での「社会進展」と、「閉鎖性」を特質とする「伝統」という異なるヴェクトルを、同じ対象地の同じデータから読みだし得たのか。上質の知的ミステリーでもある。
石原千秋氏(日本近代文学)
フーコーの性の歴史が訳されて以降、この二〇年ほどのセクソロジーの到達点を示す本だ。戦前の青年たちが立身出世のために「性欲」を身体レベルで管理された実態を暴く。性的に「抑圧」されていたというと女性ばかりが論じられてきたが、青年だってひどかったのだ。「年長の男性による年少者の支配」というフェミニズムが定義する家父長制のみごとなまでの具体化の記録である。
フーコーの性の歴史が訳されて以降、この二〇年ほどのセクソロジーの到達点を示す本だ。戦前の青年たちが立身出世のために「性欲」を身体レベルで管理された実態を暴く。性的に「抑圧」されていたというと女性ばかりが論じられてきたが、青年だってひどかったのだ。「年長の男性による年少者の支配」というフェミニズムが定義する家父長制のみごとなまでの具体化の記録である。
佐藤泉氏(日本近代文学)
記憶の作家の文学は、時ならぬ日付の政治について考えるためのなによりの手かがりとなる。
記憶の作家の文学は、時ならぬ日付の政治について考えるためのなによりの手かがりとなる。
高橋敏夫氏(文芸批評)
時代・歴史小説界の「一九七〇年組」を代表する小嵐九八郎の大作。小嵐は、一見八方破れだが、偶像破壊にけっして満足しない。今の人ならざる人の創造、今の社会ならざる社会の創造がある。すくなくとも、創造の手前の歯軋りからうまれる炸裂的な夢がある。この作品では、ユダこそがそんな夢の黒い実行者となる。
時代・歴史小説界の「一九七〇年組」を代表する小嵐九八郎の大作。小嵐は、一見八方破れだが、偶像破壊にけっして満足しない。今の人ならざる人の創造、今の社会ならざる社会の創造がある。すくなくとも、創造の手前の歯軋りからうまれる炸裂的な夢がある。この作品では、ユダこそがそんな夢の黒い実行者となる。
福本英子氏(ライター)
90年代に日本産科婦人科学会が受精卵診断の導入を図ったのに対して、産む側の女性と生まれることを阻まれる側の障害者がプリミティブな利害の対立を乗り越えて共闘しこれに抗った。その市民運動の当事者による詳細な記録である。
90年代に日本産科婦人科学会が受精卵診断の導入を図ったのに対して、産む側の女性と生まれることを阻まれる側の障害者がプリミティブな利害の対立を乗り越えて共闘しこれに抗った。その市民運動の当事者による詳細な記録である。
小松美彦氏(科学史科学論・生命倫理学)
かの原発震災を通して露わになった日本の漁業の歴史的な実状を問い、再生の方向を探究した労作。マルクス経済学を基礎に据え、反惨事便乗資本主義、反ネオリベラリズム、反グローバルスタンダード、反大規模化・効率化、反TPP等々の立場に立ち、実証的な検討を徹底しつつ、全体に底流するのは、「多用な個性を備えた人間の尊厳」と「地域ごと個人ごとにある「経済・文化・環境」により形成されてきた人格」の復権への願いに他ならない。以上の意味で、マルクスの超克を目指したものであろう。
かの原発震災を通して露わになった日本の漁業の歴史的な実状を問い、再生の方向を探究した労作。マルクス経済学を基礎に据え、反惨事便乗資本主義、反ネオリベラリズム、反グローバルスタンダード、反大規模化・効率化、反TPP等々の立場に立ち、実証的な検討を徹底しつつ、全体に底流するのは、「多用な個性を備えた人間の尊厳」と「地域ごと個人ごとにある「経済・文化・環境」により形成されてきた人格」の復権への願いに他ならない。以上の意味で、マルクスの超克を目指したものであろう。
藤原辰史氏(農業史)
労働文化の歴史。無数の「うたごえ」や「労働歌」などに刻まれた「言葉」が炭鉱労働者たちの闘いのなかで生きた模様を描き、男の女に対するまなざしと、女の男に対するまなざしを無視した変革などありえないことを静かに伝える。森崎和江を読み返したくなった。
労働文化の歴史。無数の「うたごえ」や「労働歌」などに刻まれた「言葉」が炭鉱労働者たちの闘いのなかで生きた模様を描き、男の女に対するまなざしと、女の男に対するまなざしを無視した変革などありえないことを静かに伝える。森崎和江を読み返したくなった。
阿木津英氏(歌人)
やはり宮沢賢治論と賢治をめぐる人間群像、また五日市憲法をめぐる部分には心躍った。「網野史学」の容赦ない(と思える)幻想打破も学ばされた。
やはり宮沢賢治論と賢治をめぐる人間群像、また五日市憲法をめぐる部分には心躍った。「網野史学」の容赦ない(と思える)幻想打破も学ばされた。
鶴見太郎氏(日本近現代史)
宮本常一という民俗学者は、後から続く者にとって、ますます興味を深めさせ、かつ歩きやすくい道筋を作ってきた人物なのだということが、読むうちにゆっくりと伝わって来る優れた導きの書。
宮本常一という民俗学者は、後から続く者にとって、ますます興味を深めさせ、かつ歩きやすくい道筋を作ってきた人物なのだということが、読むうちにゆっくりと伝わって来る優れた導きの書。
川村邦光氏(民俗学)
副題は「いま、死者の語りを聞くこと」。犠牲とは実は一方的な押しつけ・負担、そして殺害・殺戮のことであり、その下手人は誰かが問われなければならない。そうでなければ、死者の語りは聞こえないし、死者への語りが届きはしない。
副題は「いま、死者の語りを聞くこと」。犠牲とは実は一方的な押しつけ・負担、そして殺害・殺戮のことであり、その下手人は誰かが問われなければならない。そうでなければ、死者の語りは聞こえないし、死者への語りが届きはしない。
巽孝之氏(アメリカ文学)
松浦寿輝の最終講義集は、フランス文学から現代 SFにおよぶ多様な作品群を独自の切り口でまとめあげた美しい一冊。末尾を飾る作者自身の論争的自注を含む著作一覧も読みごたえ充分。
松浦寿輝の最終講義集は、フランス文学から現代 SFにおよぶ多様な作品群を独自の切り口でまとめあげた美しい一冊。末尾を飾る作者自身の論争的自注を含む著作一覧も読みごたえ充分。
藤沢周氏(作家)
細部。溶融。そして、奇蹟。いや、鏡花という、書くことの幻想、谷崎という書くことの倒錯、中上という書くことの身体。この執拗に「主題」を反復し書き続けた三者の「奇蹟的な一貫性」に、強度ともいえる微視的耽読を試み、近代文学の無意識に蠢く厖大なる力動をとらえたからこその「奇蹟」といえばいいか。前著『日本小説技術史』(新潮社)と共に、日本文学の批評/創作の未来がここにある。
細部。溶融。そして、奇蹟。いや、鏡花という、書くことの幻想、谷崎という書くことの倒錯、中上という書くことの身体。この執拗に「主題」を反復し書き続けた三者の「奇蹟的な一貫性」に、強度ともいえる微視的耽読を試み、近代文学の無意識に蠢く厖大なる力動をとらえたからこその「奇蹟」といえばいいか。前著『日本小説技術史』(新潮社)と共に、日本文学の批評/創作の未来がここにある。
船戸満之氏(ドイツ文学)
『精神現象学』は、何しろナポレオン軍占領下、飛び交う銃声の中を逃走しつつ書き上げた。マルタンは、意識から絶対知にいたる精神の現象(つまりは冒険)をヘーゲル自身の章立てに従って五場にわたって解説する。「すべてが精神の豊かさに彩られたイメージのギャラリー」というヘーゲル自身の危険な歴史画構想を鮮やかに浮かび上がらせる。
『精神現象学』は、何しろナポレオン軍占領下、飛び交う銃声の中を逃走しつつ書き上げた。マルタンは、意識から絶対知にいたる精神の現象(つまりは冒険)をヘーゲル自身の章立てに従って五場にわたって解説する。「すべてが精神の豊かさに彩られたイメージのギャラリー」というヘーゲル自身の危険な歴史画構想を鮮やかに浮かび上がらせる。
皆様のご来店を心よりお待ち申し上げます。
(編集部 吉田)

















































