紀伊國屋書店新宿本店3階の月がわりブックフェア「じんぶんや」、今月の選者は三浦哲哉さん。「サスペンス=宙吊りの思考」というテーマで、じんぶんやにエッセイをいただきました。
三浦哲哉さんエッセイ「サスペンス=宙吊りの思考」

「サスペンス」とは何か?
そう問われてヒッチコックは簡潔に「テーブルの下の爆弾」と表現しています。テーブルの下に爆弾が仕掛けられている。にもかかわらず、そこに居合わす人々は、平然とおしゃべりやら食事やらに興じることをやめない。このような状況が「サスペンス=宙吊り」です。
たとえば、いきなり爆弾を投げつけられる、というような場合は「サスペンス」ではありません。それは「サプライズ=不意打ち」です。同様に、いかにも怖しい悪人面に襲われる、という場合ではなく、善人だと信用しきっていた隣人が実は自分の殺害計画をずっと以前から練っていた、というのが「サスペンス」。
観客は知っていて、登場人物は知らない。「知」と「無知」の間に「サスペンス」はあります。知らなかった危機が知られるとき、当の危機に対して、そしてそれまでその危機を知らず自分自身に対して、ひとは恐れおののくのです。
巨視的な視点から見てみれば、私たちはつねになんらかの「サスペンス」を生きていると言えます。たとえば原発。「テーブルの下の爆弾」を忘れて私たちのほとんどは生きていました。ガイガーカウンターで計ってみたら、首都圏の家の軒下から、数十年前の原水爆実験由来の高濃度放射線物質が検出されました。これもまた、いままで知らずに平然と過ごしていたことこそが怖い。そして無論、いまだまだ知らないなんらかの危機を抱えながら、それと知らず私たちは今現在を生きています。
「サスペンス」とは、より一般化するならば、人間が依拠するあらゆるたぐいの足場が、実のところ不安定で、仮初めのものにすぎない、そのような「日常的危機」のことを意味します。
「サスペンス」はすぐれて近代的な状況です。自然との有機的な一体性が失われ(バーレスク映画)、神の存在証明はもはやかなわず(パスカル)、世界はフィクションであり(ポオ)、依って立つところの社会的伝統は破壊されつつあり(ハイエク)、環境そのものが機械的に再編され(ギーディオン)、都市社会において人間は匿名化し、見えない犯罪と共存して暮らします。私たちの認識そのものの土台も疑わしいものになりました(フリッツ・ラング)。
ヒッチコックは、映画──サスペンス映画こそが、恐怖とともに、足場をめぐる反省の契機を近代人に与える役割を果たすと考えました。映画館のスクリーンで自動的に展開するイメージの運動に、まず観客を同調させておいて、次にその動的な足場を巧みに操作することで、めくるめく精神の失調感覚が与えられます。そこで足場そのものが、再び感覚化されるのです。
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ここに選んだ24冊は、拙著『サスペンス映画史』の主題である映画的サスペンスを中心軸に置きつつも、それに留まらず、人間の本源的な「サスペンス=宙吊り」について教えてくれるテキスト、そして、サスペンス状態を自ら生きながら、自分がまだ気付かずにいる「テーブルの下の爆弾」を孤独に探しあてようとするテキストを集めたものです。いずれにおいても示されているのは、自分がその上で自動的に生きるところの足場そのものを感覚化するという離れ業です。それをここでは「宙吊りの思考」と呼んでいます。
三浦哲哉(みうら・てつや)さんプロフィール1976年福島県郡山市生まれ。東京大学大学院総合文化研究科超域文化科学専攻表象文化論コース博士課程修了。博士(学術)。研究テーマはロベール・ブレッソン、宗教映画、サスペンス。福島県内外での映画上映プロジェクトImage.Fukushima代表。「キネマ旬報」、「ユリイカ」等に映画批評を寄稿。訳書に『ジム・ジャームッシュ インタビューズ──映画監督ジム・ジャームッシュの歴史』(東邦出版 2006)。共著に『ひきずる映画──ポスト・カタストロフ時代の想像力』(フィルムアート社 2011)。
サスペンス映画史
三浦哲哉 / みすず書房
2012/06出版
ISBN : 9784622076858
¥3,570 (税込)
ひとはなぜ不安と恐怖を求めて映画を見るのか。
グリフィス、ラング、ウェルズ、ヒッチコックからイーストウッドまで「サスペンス=宙吊り」の魅惑を語りつくす。(Bookweb書誌より)
三浦哲哉さん選書・コメント
パンセ
ブレ−ズ・パスカル、前田陽一 / 中央公論新社
1993/02出版
ISBN : 9784122000605
¥1,150 (税込)
三浦哲哉さんコメント 神なき世界の不安と孤独。絶対的な足場をなくした信仰は、以後「賭け」になる。徹底した相対主義の上で演じられる綱渡り的な認識論。「秩序Ordre」をめぐる断章群は、映画論の先駆としても読める。
三浦哲哉さんコメント パスカル主義者ブレッソンによる映画の『パンセ』。作為と虚飾を剥がしたとき、映画のカメラは、事物を断片的な宙吊り状態において示す。ブレッソンの作品には、犯罪ものであれ聖人ものであれ極上のサスペンスが漲る。
ポオ詩と詩論
エドガ−・アラン・ポ−、福永武彦 / 東京創元社
1979/11出版
ISBN : 9784488522056
¥798 (税込)
三浦哲哉さんコメント ポオは推理小説だけでなく、映画的サスペンスの祖先でもある。作品の構成は鑑賞者への生理的効果(面白さ)から逆算して決定されるという美学。世界はフィクションであるという認識(『ユリイカ』)。
三浦哲哉さんコメント 馬から鉄道へ。前近代人にとっての親しい風景が、鉄道とともに再編成される新しい時空間においてどのように変わるか。近代技術社会における人間の宙吊り状態を、動的な感性論によって浮き彫りにする。
機械化の文化史 ものいわぬものの歴史
ジ−クフリ−ト・ギ−ディオン、栄久庵祥二 / 鹿島出版会
2008/07出版
ISBN : 9784306045118
¥9,240 (税込)
三浦哲哉さんコメント 機械化が人間におよぼす影響を「農業」や「水道」や「家事」などの諸テーマに沿って実証する具体的精神史。いまや当たり前と感じる現代生活の発端にあった「全面的機械化」と「思考と感情の亀裂」とは。
ハイエク全集
フリ−ドリヒ・アウグスト・フォン・ハイエ、西山千明 / 春秋社
2007/07出版
ISBN : 9784393621752
¥4,200 (税込)
三浦哲哉さんコメント 人間の知識の総体は、自生的に積み重ねられてきた習慣の帰結であって、それを一望のもとに把握する精神はありえない、という事実。盲目的に頼らざるをえない「伝統」が、消失してしまったら?
都市の詩学 場所の記憶と徴候
田中純 / 東京大学出版会
2007/11出版
ISBN : 9784130101066
¥3,990 (税込)
三浦哲哉さんコメント 夢と現の中間にある「黄昏」の都市でたぐられる「記憶」と「徴候」。「関係」の網そのものであるかのような文体によって、都市に浸透していた文字通り圧倒的な質量の無意識が顕在化する。
徴候・記憶・外傷
中井久夫 / みすず書房
2004/04出版
ISBN : 9784622070740
¥3,990 (税込)
三浦哲哉さんコメント いまだないものを予告する徴候に充たされた世界と、その中を生きる人間の「微分的」認識。全編にわたって影を差すのは「犯罪」と「戦争」。中井氏が紹介・共訳したマイクル・バリント『スリルと退行』も独特のサスペンス論としておすすめ。
官能の哲学
松浦寿輝 / 筑摩書房
2009/06出版
ISBN : 9784480092182
¥1,155 (税込)
三浦哲哉さんコメント すでに人間が考えついたことならばどこまでもすらすらと辿り直すことができる、そのような万能の筆記装置を演じつつ、そのうえで狙い定めた一点に鋭い陥没を穿ち、思考の自動運動を瓦解させてみせるくだりが戦慄的。
ロ−ズガ−デン
桐野夏生 / 講談社
2003/06出版
ISBN : 9784062737692
¥540 (税込)
三浦哲哉さんコメント 結末を決めずに「これから」を創造しつづける桐野のテキスト一行一行には、「何をしても構わない」境地の自由と孤独がある。ギャグめいた作品も含めてすべて傑出しているが、本書所収の『漂う魂』は「宙吊り」を簡潔に描ききる。
三浦哲哉さんコメント 「ヨーロッパ」という言葉の「ヨー」と「ロッ」と「パ」が分離して気が狂いそうになったことがあるというナンシー関。人間の知が実はいかにあやふやで頼りないものかという指摘(まさに慧眼)から生まれる驚きと笑い。
偶然性と運命
木田元 / 岩波書店
2011/05出版
ISBN : 9784004307242
¥756 (税込)
三浦哲哉さんコメント 「おお、なれこそは前の世に、わが妹にありしや、妻にありしや」(ゲーテ)。古典文学、哲学から縦横に引用しつつ、「めぐり逢い」の不可思議について考察するエッセイ。紹介されている逸話、すべて映画になると思う。
明るい部屋 写真についての覚書
ロラン・バルト、花輪光 / みすず書房
1997/06出版
ISBN : 9784622049050
¥2,940 (税込)
三浦哲哉さんコメント 「それは-かつて-あった」。喪失の上に成り立つ写真の時間性。映画は写真と違い現代在進行形の時間を生きさせてもくれるが、しかしやはり写真であるかぎりにおいて、それは終わった時間でもある。グリフィス論としても読める。
三浦哲哉さんコメント バルトの写真論のほぼ同時期に、友人シェフェールが書いたもっともラディカルな映画観客論。時空間的な座標から遊離した動く映像断片群に身体を晒す映画という場において、観客は「世界の宙吊り」を経験する。
シネマ1・運動イメ−ジ
ジル・ドゥル−ズ、財津理 / 法政大学出版局
2008/10出版
ISBN : 9784588008559
¥4,725 (税込)
三浦哲哉さんコメント 質の異なるものをまず、できるかぎり切り分け、数え上げよ。次にそれらを再配置せよ。ベルクソン的直観による分類学。大枠の歴史観自体は旧来のものだが、それにも関わらず、すべてが新しい。絶対的に新しい(決して古びない)映画論。
シネマ2・時間イメ−ジ
ジル・ドゥル−ズ、宇野邦一 / 法政大学出版局
2006/11出版
ISBN : 9784588008566
¥4,935 (税込)
三浦哲哉さんコメント シェフェールから得た着想をドゥルーズ自身が展開した「映画と思考」の章は、未来の映画論のための起点。すでに「俗悪な映画」になってしまった世界を、再び「信じる」ためには?再び「始める」ためには?
ドゥル−ズ・映画・フ−コ−
丹生谷貴志 / 青土社
2007/06出版
ISBN : 9784791763382
¥2,520 (税込)
三浦哲哉さんコメント 「だから、イマージュ群の内在性の世界において、死は「直観」と呼び直されることになるだろう」(28頁)。個体の輪郭の生成と消滅に注がれる眼差し。その特権的事例として語られるのはクリント・イーストウッド。
映像の詩学
蓮実重彦 / 筑摩書房
2002/08出版
ISBN : 9784480087164
¥1,785 (税込)
三浦哲哉さんコメント あらゆる認識的前提を一旦留保したうえで、画面に映る細部のみを虚心にたぐってゆく「主題論的分析」。蓮實のそれは映画批評のひとつの極限であると思う。「留保」と意図的「忘却」を自らに課す精神の緊張がサスペンスフル。
定本 映画術
フランソワ・トリュフォ−、山田宏一 / 晶文社
1990/12出版
ISBN : 9784794958181
¥4,200 (税込)
三浦哲哉さんコメント 映画的サスペンスを理解するために絶対に欠かせないインタビュー集。観客トリュフォーの解釈がヒッチコック作品を豊かに富ませるそのプロセスが、観客を巻き込まずにいない「主観的」サスペンスの魅惑を実演的に証明する。
映画の魔
高橋洋 / 青土社
2004/10出版
ISBN : 9784791761463
¥2,730 (税込)
三浦哲哉さんコメント 「恐水症患者が水に鋭敏に反応するように物質が怖いものとして迫ってくるというふうに世界を認識している人」と評されるフリッツ・ラングについての論考をはじめ、実作者ならではの観点から書かれた唯物論的映画論集。
三浦哲哉さんコメント 映画というメディアに私たちの身体はどのように巻き込まれるか。現象学的方法による粘り強い考究。ハイデッガーによる電話の分析との対照が秀逸。通読すれば深い納得が得られる。
映画というテクノロジ−経験
長谷正人 / 青弓社
2010/11出版
ISBN : 9784787272942
¥3,780 (税込)
三浦哲哉さんコメント いわば「宇宙人の人類学者」になったつもりで、映画体験の不可思議さを歴史的に記述しようと試みたという書物。驚き、翻弄される自分でありつづけようとする姿勢の倫理性に感動。
三浦哲哉さんコメント 推論と実証がきわめて高いレベルで結びつき、事後的に作られた記号「フィルム・ノワール」の謎が解き明かされる。映画が終わる、という哀しい外傷体験を反省する視点の揺るぎなさに感動。
三浦哲哉さんコメント いわゆる「癒し系」とは異なり、観賞者の心に消化しがたい情動の跡を残す映画を「ひきずる映画」とカテゴライズ。その代表的作品をピックアップし、村上匡一郎ほか共著者(私も参加しています)が解説。
「じんぶんや」とは?
こんにちは。じんぶんやです。
2004年9月、紀伊國屋書店新宿本店に「じんぶんや」という棚が生まれました。
「じんぶんや」アイデンティティ1
★ 月 が わ り の 選 者
「じんぶんや」に並ぶ本を選ぶのは、編集者、学者、評論家など、その月のテーマに精通したプロの本読みたちです。「世に溢れかえる書物の山から厳選した本を、お客様にお薦めできるようなコーナーを作ろう」と考えて立ち上げました。数多の本を読み込んだ選者たちのおすすめ本は、掛け値なしに「じんぶんや」推薦印つき。
「じんぶんや」アイデンティティ2
★ 月 が わ り の テ ー マ
人文科学およびその周辺の主題をふらふらと巡っています。ここまでのテーマは、子どもが大きくなったら読ませたい本、身体論、詩、女性学...など。人文科学って日々の生活から縁遠いことではなくて、生きていくのに案外役に立ったりするのです。
ご愛顧のほど、どうぞよろしくお願いします。
「じんぶんや」バックナンバー
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【じんぶんや第84講】三浦哲哉選「サスペンス=宙吊りの思考」
場 所 紀伊國屋書店新宿本店 3Fカウンター前
会 期 2012年9月26日(水)~10月下旬
お問合せ 紀伊國屋書店新宿本店 03-3354-5703