【じんぶんや第76講】 佐々木敦選「未知との遭遇 ―本物の思考を開始するために―」
紀伊國屋書店新宿本店5階の月がわりブックフェア「じんぶんや」、今月の選者は佐々木敦さんです。今回の選書に関して、佐々木さんからエッセイをいただきました。
佐々木敦さんエッセイ
『未知との遭遇』は、『ニッポンの思想』(講談社現代新書)の「続編」として書かれました。しかし、この本は──読んでもらえば一瞬でわかることですが──『ニッポンの思想』で素描した「ニューアカデミズム(八〇年代)以後の日本の現代思想」とは、まるっきり違った書き方になっています。もちろん、これは意図的な選択であって、僕としては、「シーソー」にも「ゲームボード」にも乗らずに、「ニッポンの思想」への自分なりのレスポンスを書いてみるためには、少なくとも文体も書法も、参照される文献や作品なども、従来の流れからは多少とも隔絶していることが必須だと思ったし、それを自分に課しました(この本にはフーコーもドゥルーズもデリダも登場しません)。結果として、ヨーロッパのポストモダン思想よりも、英米の分析哲学系に属する思考にインスパイアされた論議がメインを占めることになりました。また、かなり沢山の、そしてジャンルのバラバラなフィクションが、さまざまに援用されています。けれども、あくまでも主眼となっているのは、浅田彰から東浩紀へと至る「ニッポンの思想の歴史」への批評と、それを踏まえて、「いま、ここ」で生きることを、如何にして肯定するのか、という問いであったつもりです。
それがどの程度成功しているかはともかくとして、このブックフェアでは、『未知との遭遇』に引用/参照されている書物を中心に、僕がこの本を書くにあたって役立った人文系の書籍を集めてもらいました。かねがね不思議なことは、『未知との遭遇』で書いた「無限後退問題」ではないですが、あるひとつの言説が大抵の場合、先行する諸々の言説への批評的応接として書かれていて、それゆえ固有名詞の知識がないと何が何だかわからないことが多い、いわゆるハイ・コンテクスチュアルなヨーロッパの哲学よりも、予備知識抜きにいきなり読み始めても、アタマさえ働かせれば書き手の主張を理解できる分析哲学や「心の哲学」の方が、ずっと入っていきやすいと思うのですが、どうしてか、とりわけ日本では、あまり人気がありません。これも「ニッポンの思想」の呪縛だと思います。「わかったつもり」になれる本ではなくて、「わからないことを自分で考える」ための最初の一歩となる本、出来合いの知識や情報には還元され得ない、本物の思考(こそが「思想」の前提です)を開始するためのトリガーとなる本たちが、ここには揃っています。
佐々木敦(ささき・あつし)さんプロフィール1964年生まれ。批評家。
音楽レーベルHEADZ主宰。雑誌『エクス・ポ』編集発行人。
映画・音楽から文学・演劇・ダンス・思想 など多分野にわたって批評活動を展開。
著書に『即興の解体/堕胎』『文学拡張マニュアル』『テクノイズ・マテリアリズム』『(H)EAR』『LINERNOTES』(以上、青土社)、『小説家の饒舌』『「批評」とは何か?』(以上、メディア総合研究所)、『絶対安全文芸批評』(インファス)、『ソフトアンドハード』(太田出版)、『ニッポンの思想』(講談社現代新書)ほか多数。
近刊として『ニッポンの音楽』(講談社現代新書)、『90年代論』(原書房)など。
ポジティヴな「生き方」はいかにして可能か。
情報科学からポップカルチャーまでを総動員、この世界と、一度きりの生を肯定するための哲学的「自己刷新」本。
【じんぶんや第76講】 佐々木敦選「未知との遭遇 ―本物の思考を開始するために―」
場 所 紀伊國屋書店新宿本店 5Fカウンター前
会 期 2011年12月16日(金)~1月中旬
お問合せ 紀伊國屋書店新宿本店5階 03-3354-5700
佐々木敦さん選書・コメント
「東浩紀Ver2.0」の誕生を鮮烈に宣言した記念碑的新書。ここで提示された「オタク=動物=日本社会」という論点は、続く「ゼロ年代の思想」の基調となった。ここから『情報自由論』『一般意志2.0』と読み進んでみれば、東氏のスタンスがきわめて一貫していることがわかる。
小説家東浩紀の長編デビュー作にして三島由紀夫賞受賞作。『動ポモ2ゲーム的リアリズムの誕生』の実践篇として読むよりも、著者のSFへの思慕と家族への愛に貫かれた純然たるフィクションとして享受しよう。数多の時間SFの系譜に連なる力作。
3冊ある「郵便的不安たち」の最新ヴァージョン。実質的デビュー論文「ソルジェニーツィン試論」、「批評空間」への訣別(?)を告げる「棲み分ける批評」、初期のアニメ論/オタク論などを収録。断言と撤回、迷いとブッチ斬りを基本トーンとする東批評のダイナミズムが濃縮された一冊。
ヒューム研究でも知られる一ノ瀬氏が、因果論をめぐって独自の思考を継続してきた「原因と結果」シリーズの最新作。分析哲学のテクニカルな議論を駆使しながらも、あくまでも実感から遊離しない姿勢は信頼できる。本書ではこれまで以上に「生き方」の問題に踏み込んでいる。
マクダガートの時間論の詳細な紹介と分析から、著者独自の時間観へと向う。時間という不可思議なモノを考えれば考えるほど、わかってくればわかってくるほど、わからなくなってくるという、哲学の醍醐味を堪能させてくれる。
入不二時間=相対=運命論の、現時点での到達点。丹念に論を進めていきつつも、ここ一番の跳躍力がスゴい。哲学とは「世界」の理解のためばかりではなく、「世界」に潜在する驚きの発見のためにあるものだということが、この本を読むとよくわかる。
みんながこだわり、ついつい僕もこだわってしまった「理想の時代」から「虚構の時代」へ、という時代区分を提出した重要な新書の文庫版。オウム真理教が露出させたものとは何か? その後、大澤氏が現在に至るまで展開することになる、アクチュアルな論議の出発点。
巨編『世界史の哲学』の補助線にして前哨戦。多彩なトピックを駆使して、いつにも増してドライヴ感溢れるノリで展開される議論には思わず興奮させられる。あくまでもアクチュアルな問題意識の下に書かれた、巨大なスケールの論議。本質論と状況論が矛盾しないという好例。
これもタイミングよく出た本です。「自分の頭で、自分の言葉で、考えてみる哲学」の見本というべき大森哲学の入門としては、これ以上ないと言ってよいアンソロジー。重要な論文がバランス良く集成されているのみならず、編者四名による巻末座談会が素晴らしい。
現代形而上学の面白さをヴィヴィッドに伝えてくれる格好の一冊。タイトルからしてゾクゾクしませんか? 「存在論」をハイデガー的なターミノロジーではなく、あくまでもロジカルに記述し直そうとする挑戦。哲学分野のみならず、たとえば円城塔の小説とも完全にリンクしています。
『未知との遭遇』を校了した途端に新版が出ました。九鬼の「偶然論」をコンパクトに一望できます。拙著で引用した「偶然と運命」ももちろん収録。『いきの構造』があまりにも有名ですが、僕はこちらの方が重要だと思います。
分析哲学以後のタームを武器に、アリストテレス以来の時間と空間を論じる現代形而上学。才人サイダーが「四次元主義」を掲げる本書は、かなり難解だが、まるでめくるめくメタ・ミステリを読んでいるかのような思考のスリルを味合わせてくれる。
広義の分析哲学の歴史上、誰よりも核心部分を捉えつつ、他とはひと味もふた味も違ったユニークな歩みをした孤高の人物グッドマン。worldmakingを論じたこの本、どこか飄々としたノリだけど、それでいて論旨は大胆不敵。有名な「グルー」はもうひとつの『事実・虚構・予言』で。
かつて「批評空間」に連載され、ジジェク・ブームを惹き起こした出世作。とかくワンパターンが指摘される人ですが、まずこの本から読んでみて、それから一気に最近の『大義を忘れるな』などの大作に挑戦するのもアリだと思います。アクロバティックではあるが「ね、わかるでしょ?」ではないところが信頼できる。
多元的草稿モデル、クオリア批判、宗教批判等々、色々と賛否両論多いデネットですが、その主張に僕は概ね賛成です。『未知との遭遇』で言及したかったが枚数の都合で諦めたのがデネットのこの本。「決定論」と「自由意志」の相克を、血も涙もない自然科学的発想で論じたスリリングな本。
主著『存在と出来事』の邦訳が待たれる現代思想の現役の巨星バディウが、過ぎ去りし「20世紀」を語り尽くした大冊。数学的知性と文学的完成を併せ持つ彼ならではの詩的かつ論理的な筆致、そして今なお「状況」へのコミットメントを続ける真正左翼ぶりに震えよ。
しかし、そもそもタイムトラベルとは何かを、私たちは理解しているだろうか。
過去や未来に行くとは、正確にはどういうことだろうか。
タイムトラベルの思考実験を通じて「流れる時間」という常識を疑う、独自の視点からの時間論入門。
文庫化にあたって加筆増補。
「安全」を求める人々の動物的本能が最重視される一方で、イデオロギーや理念などの人間的な要素は形骸化したのではないか。
従来の思想が現状への批判能力を失いつつある今、気鋭の二人が権力の変容を見据え、テロ事件から若者のオタク化までの様々な事象を論じながら、時代に即応した新しい自由のあり方を探究する。
現代思想の閉塞を打ちやぶる迫力ある討論。
「世代間闘争」の末に見えた地平は?
いまの日本は近代か、それともポストモダンか?
サブカルチャーの諸問題から国家論まで、「わかりあう」つもりのない二人が語り尽くす。
すべてを人生や道徳の問題であるかのように曲解する「人生論的誤読」、思想的な知識によってわかった気になる「知識による予断」、「答え」を性急に求めすぎて「謎」を見失ってしまう「誤読」、そして新たな哲学の問いをひらく生産的な「誤読」...。
本書は、大学入試(国語)に出題された野矢茂樹・永井均・中島義道・大森荘蔵の文章を精読する試みである。
出題者・解説者・入不二自身・執筆者それぞれの「誤読」に焦点をあてながら、哲学の文章の読み方を明快に示す、ユニークな入門書。
その最果ての地で、どのような風景が目撃されるのか?
本書では、ルイス・キャロルのパラドクス、マクタガートによる時間の非実在性の証明、デイヴィドソンの概念枠批判、クオリア問題等を素材に、「相対化」の問題を哲学する。
相対主義を純化し蒸発させることを通して、「私たち」の絶対性を浮き彫りにすると同時に、その「私たち」も到達しえない"他なるもの"の姿を鮮やかに描き出す。
ダイナミックな哲学の思考運動が体感できる名著。
「私たち」に外はあるか?
足の裏に影はあるか?
ないか?
「無関係」とはどういう関係か?
...ほか、目の前に立ち上がる問いを、夢中になって、追跡する。
―目もくらむような、24の言葉の結晶。
彼らはいったい何を求めているのか。
戦後の「理想の時代」から、七〇年代以降の「虚構の時代」を経て、九五年を境に迎えた特異な時代を、戦後精神史の中に位置づけ、現代社会における普遍的な連帯の可能性を理論的に探る。
大澤社会学・最新の地平。
秋葉原でおきた無差別殺人事件。「犯行そのものはけっして許せないが、犯人の心情には共感する」という、ネットを中心に顕在化した同世代の声をどう受け止めればよいのでしょう。そこには、若い世代が抱える怒りや孤独、不満、不安、絶望など、私達が目を逸らす事が出来ない、いくつもの問題が横たわっています。
画期的「自我論」への予兆を秘めた大森哲学の新展開。
過去は変えられるか、未来は決っているか、そもそも時間とは何か。
そこから、アメリカ社会=現代社会の論理が浮かび上がる。
たとえば、初期の宇宙人は優れた科学を持つ金髪の白人だったが、灰色の肌をした吊り上がった目の邪悪なものへと姿を変え、ポストモダンの時代には節足動物や昆虫になってしまった。
これはいったい何を意味しているのだろうか?
UFO神話、政府陰謀説を丁寧に読み解き、エイリアンと人類の未来を予測する。
―多くの人々を魅了してきた永井均氏の哲学は、では、どのような問題であり、そしてどのような哲学的可能性やひろがりを持っているのか?
スリリングに思考する。
注目の哲学者4人による本気のコラボレーション。
この一年半の生と思索の軌跡のなかで、唯一無比の哲学者は、死を怖れつつ死を哲学的に追い詰め、時間論を発展させ、高き領域にまで達するのだ。
また、新稿「観念的生活、その後」で明かされる、最終的境地への予感。
」人なら誰しも日々かみしめる苦い思い=「後悔」「自責」を問いかえす中から、意図、偶然、運命、同情など切実な主題と人間と世界の本質にせまり、「哲学」することの初心をよびさます、あざやかでせつない名著。
第2章 グーグルはいかにウェブ上に生態系を築いたか?
第3章 どのようにグーグルなきウェブは進化するか?
第4章 なぜ日本と米国のSNSは違うのか?
第5章 ウェブの「外側」はいかに設計されてきたか?
第6章 アーキテクチャはいかに時間を操作するか?
第7章 コンテンツの生態系と「操作ログ的リアリズム」
第8章 日本に自生するアーキテクチャをどう捉えるか?
現在を彩る物語たちを三つの異なる視点から照射し、そこに見出され問われる新たな作家性"ゴースト"を浮上させる。
もう成長しないと日本と、その震災以後の作品に宿るべき"希望"を描き出す渾身の書。
最もリアルで最も同時代的なキャラクター批評の最新形。
アメリカ帝国主義のヘゲモニーに、全世界は加担を強いられるがままなのか。
右翼ポピュリズムの欺瞞・リベラル民主主義の迷妄を共に撃ち、急迫する真なる"敵"とは誰かを見極める。
現代思想界の奇才による待望のラカン入門。
現代思想界の奇才、スラヴォイ・ジジェクによるラカン入門です。映画や文学、現代政治のエピソードから、誰もが出会う日常的な体験までを縦横無尽に論じながら、難解と呼ばれるジャック・ラカンの思想を軽やかに解きほぐしていきます。
ハイデガーとナチズム、フーコーのイラン革命も視野に、裏切られた革命の数々の検証から、反資本主義闘争にとっての火急の要請を根源から問い直す、画期的な理論成る。
意識の説明は、進化論とコンピュータ・サイエンスのドッキングを通じて、ここに一新する。
先端諸科学の成果を背景に、ヘテロ現象学、意識の多元的草稿論、自己および世界についてのヴァーチャル・リアリティー論など、新しい哲学的見取図を提示し、意識の生成・進化・展開の解釈に画期的地平を拓く。
認知科学の最新の成果を結集。
可能世界論によってこの問いに理論を与えた、全研究者必携の画期的名著。
誰もが待ち望んでいた挑戦的にして衝撃的な新しい時代の哲学の誕生。
「じんぶんや」とは?
こんにちは。じんぶんやです。
2004年9月、紀伊國屋書店新宿本店5階売場に「じんぶんや」という棚が生まれました。
「じんぶんや」アイデンティティ1
★ 月 が わ り の 選 者
「じんぶんや」に並ぶ本を選ぶのは、編集者、学者、評論家など、その月のテーマに精通したプロの本読みたちです。「世に溢れかえる書物の山から厳選した本を、お客様にお薦めできるようなコーナーを作ろう」と考えて立ち上げました。数多の本を読み込んだ選者たちのおすすめ本は、掛け値なしに「じんぶんや」推薦印つき。
「じんぶんや」アイデンティティ2
★ 月 が わ り の テ ー マ
人文科学およびその周辺の主題をふらふらと巡っています。ここまでのテーマは、子どもが大きくなったら読ませたい本、身体論、詩、女性学...など。人文科学って日々の生活から縁遠いことではなくて、生きていくのに案外役に立ったりするのです。
ご愛顧のほど、どうぞよろしくお願いします。
「じんぶんや」バックナンバー
こちらのページから今までの「じんぶんや」をご覧いただけます。


























































