【じんぶんや第75講】 佐々木正人選「リアルとアートとアフォーダンス」
紀伊國屋書店新宿本店5階の月がわりブックフェア「じんぶんや」、今月の選者は佐々木正人さんです。今回の選書に関して、佐々木さんからエッセイをいただきました。
佐々木正人さんエッセイ
消えたこと
周囲を知るために、私たちは、何かが隠されていくこと、隠れていたことがあらわれてくること、この両方を見ている。ある面が他の面を隠す、他の面の後ろにあった面が少しずつあらわれる。この変化が視覚をもたらす。つまり「遮蔽が情報だ」というのが生態心理学の第一の発見である。遮蔽ならば、いまきた道を戻れば、同じものを見ることができる。遮蔽は可逆的である。行けば見えなくなったことは、戻ればまた見ることができる。移動さえすれば、取り返しがつく。災害が奪うのはこの可逆性である。被災地では、遮蔽以外のこと、ふだんはまれなことばかりが起こった。それは、消えてしまうことである。無くなってしまったものには、知覚の手が及ばないのである。
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人の周りには、毎日、場所を変えている物や、ずっと同じところにあり続けている物がある。一日、週、月、年......。いろいろな時間幅で、ある物の位置は変わり、その横で位置を変えない物もある。変化と不変が周りにある。変化と不変が同時につくる、流れと淀みの網のなかからそれらを見続けながら、たまにはそこに新しい物を加えてみたりする。これが生きているという感覚の土台である。つまり人は「物のレイアウト」という巣に生きている。なによりも、それを大切にしている。
ガレキとは、レイアウトを失った物である。ガレキは、とてつもなく長く、手をかけて、熟成されてきた物のレイアウトが、消えたことを痛切に示している。物が、もはやレイアウトには返すことのできない、そういう物になったことに、愕然とする。人の周りにあった、そこにしかなかった物のレイアウト網の緻密さを、いったい、これからどれくらいの力を費やせば、ふたたび生み出せるのか。その長い時間をガレキの前で思う。
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生態心理学は、地面と空気と光の心理学である。もっといえば、生態心理学はなによりも「空気の心理学」である。空気についてギブソンは書いた。「空気も水も、どこでも同じになる。場所が変わろうが、空気の成分はとてもわずかしか変化しない......。空気には境界はない。すなわちそのなかには面はない。きわめて大事な、この空気の均質性のおかげで、光や音が、それが起こったところから、球状の波をまわりに広げることができる」。
地面にふりそそいだ光が、地面のキメと、空気のなかの塵で散乱反射して、空気のなかには光の網目ができる。これをギブソンは情報とよんだ。この光の網のなかで、眼は進化し、いまでもまわりを見ている。眼も視覚も空気がつくった。視覚は空気からの賜り物である。
境界がないので、空気のなかならば動物はどこまでも移動できる。均質なので、局所に起こった振動や、匂いのそばまでいって、それを味わうことができる。空気のおかげで、動物は知るべきことを求めて、どこまでも移動してきた。
2011年3月。関東平野に住む私は、防塵マスクをして、いつも通り自転車で移動した。しばらくは空気にふれる皮膚に「痛み」を感じた。いつまでも変わらずにこのままであるはずだった空気。それが変わったこと。媒質が傷んでいること。生態心理学はどうやら、そのままでは通用しなくなったこと。悔いることがあるとすれば、世界が「空気の心理学」を共有していなかったこと。
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失うことは得ることでもある。ドナルド・キーンは、いまこの島で、静かに、耐えている人のそばで過ごしたいと、それだけを言って、帰化するためにやってきた。私たちと同じ空気のなかにいることを選んだ。
佐々木正人(ささき・まさと)さんプロフィール1952年北海道上川郡(安足間)生まれ。札幌南高校、東京学芸大学、筑波大学院博士課程修了。
早稲田大人間科学部助教授を経て、現在は東京大学大学院教育学研究科教授。
日本生態心理学会所属(知覚―行為研究)。22歳で大学を休学して国立劇場文楽研修生(2期)となり、4世竹本津大夫などの至芸を舞台横から見学。
40歳頃から光覚のない視覚障害者と伴に街を歩くフィールドワークを開始し、このフィールドワークは10年ほど続いた。
これら二つの経験により知覚についての考察に至る。
現在のテーマは「環境と行為の同時的観察と表現」。
【じんぶんや第75講】 佐々木正人選「リアルとアートとアフォーダンス」
場 所 紀伊國屋書店新宿本店 5Fカウンター前
会 期 2011年11月13日(日)~12月15日(木)
お問合せ 紀伊國屋書店新宿本店 03-3354-0131
佐々木正人さん選書・コメント
リスト1:ギブソンと仲間たち
ギブソン(1904-1979)はアメリカ心理学者、知覚の専門論文もたくさん書いたが、一般向け(と本人は考えていた)の本を3冊残した。これがその一冊目。「(感覚ではなく)知覚の心理物理学」の提案。「視覚フィールド」と「視覚ワールド」の二つで視覚を描こうとしたが、40代半ばのギブソンはまだ網膜像から視覚を説明することを捨てきれていない。ただし、肌理、縁、勾配、面、隣接性、不変項などの後期の用語群はでそろっている。あとはフィールドを破って、ワールドそのものが出てくるのを待つだけだった。しかしそれには長い年月が必要だった。
16年間練られた本。「感覚と知覚は無関係だ!」という、心理学からすればコペルニクス的転回を主張する。「では知覚ってなに?」という疑問に、生理学や比較形態学(昆虫から魚や鳥など、動物の眼の進化の9章)まで調べて緻密に解答した。5つの知覚システムについて書いた章はどれも斬新で、日常の知覚が説明されている。いわゆる五感の歴史をこの本が変えた。とくに、触覚-身体感覚の6、7章はこれまでのどの身体論よりも身体がリアルに書かれている。そして視覚(10章)の理論密度はきわめて濃い。使いはじめた道具のように、まだ鈍さの残る、しかし豪胆な一冊。
それから11年。75歳、死の年の出版。書き溜めたメモなどもふんだんに使って、まるごと視覚だけ。理系の入門書のように(数式はないが)緻密に書き進められている。まずは視覚を与えている自然の新定義。ついで、そこを照明している光の導入。情報にあふれている光。ギブソンの人類への貢献といってもよい「生態光学」。さらに、光の中を、どこまでも移動する身体。最高の心理学書の一つだろう。すべての章に「宝石」が埋まっている。なのに、かろやかな本。どうぞ洗練された英語でもお読みください。
生態学的視覚論に至るギブソンの論文を集成。エドワード・リードと妻のレベッカ・ジョーンズ編。光学、身体・運動、絵画の知覚、実在論の4部構成。思考の深化がわかるように論文が配列されている。
もっとも正確で面白いアフォーダンス入門。著名な発達心理学者だったエレノア(1910-2002)が最晩年に書いた「夫婦の伝記」。ジェームズの最初の職場スミスカレッジで二人は出会う。卒業式のガーデン・パティで「運の悪いことに雨が降り、私は自分の持ち場の隣の屋根のあるコーナーで雨が止むのを待った。そこにギブソン助教授がいた。...その日。ギブソンと私は出会っただけではなかった。彼は古いTフォード車で、私を寮まで送ってくれた。翌朝、帰省の電車に乗る前に私は学部の事務室に駆け込み、秋の履修届けを修正し、ギブソン助教授の上級実験心理学コースを付加した。」生涯続いたギブソン理論の歩みを詳細に想起する。
コーネル大学オーリン図書館アーカイブには、ギブソンの残したメモ、手帳、書簡、写真などがダンボールで何箱も収められている。リードはこれらの資料も使って、長い伝記を書き上げた。私的な生活と思考、実験研究の歴史の両者が描かれた。「ギブソンの思想は論争的性格を持っている。だから私は、それ(ギブソンの歩み)自身に語らせるよう努めた。...何もないところから科学革命は生じない。ギブソンがどのようにして(自身の)新たな一式の基本概念のみが、心理学を混乱状態と凡庸さから救うと確信するに至ったのか...。」(プロローグより)
ダイナミック・タッチ、生態音響学、多感覚の情報、生態心理学と熱力学など、ポスト・ギブソンの生態心理学の研究成果、20世紀後半の世界動向がわかる。主要論文の全訳。
①「魂から心へ」(青土社)、②「経験のための戦い」(新曜社)とあわせて、リード晩年の3部作。学部でダーウィンの種を具体的に扱った多くの仕事と、進化論を学び、博士論文では、現代心理学が、脳と身体を結びつけるデカルトのアィデアを起原にしていることを論じたリード。40歳を越えた頃から、原文献を駆使した19世心理学成立史①と現代教育批判の書②とともに、ダーウィンの思考を十分に咀嚼して、ギブソンに学んだ新しい心理学の枠組みをこの本で書いた。難解なギブソン理論の最適入門書(わかりやすい訳!)。
わが国のアフォーダンス実践研究集成。運動障害者は行為の入れ子を発見することで回復していく(宮本英美)。行為の微小なやり直しであるマイクロスリップは行為の展開をもたらしている(鈴木健太郎)。視覚障害者は横に抜ける音から、地図を聞いている(佐々木)。ヒモを振る手も動きの柔軟性、それぞれの動きがつながる情報、高次不変項の意味(三嶋)。缶詰を叩いて、重量を知覚する打検士の技の解析(黄倉雅広)。
ギブソンのエコロジカル・リアリズムが少しわかったころ書いた。タイトルにアフォーダンスを使うかどうか、ずいぶん悩んだ。
ダーウィンの、ミミズや植物の動きの研究を読み、生物の動きは、周囲の情報、圧、光、熱、湿気などを多重に埋め込んでいるがわかった。このダーウィンの発見に生態心理学を重ねた。
あかちゃん発達の動画データベース。940クリップ。2人の男の子が、生まれた家の中で、だんだんと成長していく。母親は何をしているか、家具は動きにどう関わっているか。1000のキーワードや、3歳までの月齢で自在に検索できる。ウィンドウズで起動。
最新刊心理学雑誌。特集:環境の実在を質的心理学はどうあつかうのか(南博文氏と編)。「乳児期におけるつかまり立ちの生態幾何学的記述」(山崎寛恵)、「食事における容器操作縦断的研究」(青木洋子)、「起き上がるカブトムシの観察」(佐々木)。日本発アフォーダンス研究一歩前へ。
リスト2:リアル――汲みつくせない個
類や種が実在する(実在論)いや存在するのは個体のみ(唯名論)、という14世紀の対立。この「物質主義と相対主義によって解体した世界」を救うために、実在論読み変えの思想史。「思考においても、存在においても、非限定なもの」(パース)、無限低の底知れぬもの、汲みつくせぬ、確定されない、定まらない個がはじまりにある、とするリアリズムの系譜。
地球にある変化のありのままの姿を知りたい。生き物に起こっている変化を見逃さない。変化の重層性と相互連関、さらに地理学的場所の力。それらの複合として「定まらない個」、種を描こうとした未完の本。ダーウィンは序言で「自然選択が変化の、主要な方途ではあるが唯一のものではなかったことをも、確信している」と書いた。変異は無方向、無目的である。あらかじめ適応への傾斜をもっていれば自然の創造の役割を奪ってしまう。進化には目的も方向もない。
宇宙には汲みつくせない可能性と現実が連続している。一本の線の側に別の線を描く。直線は多数化すると円の接線となる。すると個別性を失う。やがて存在を消し去られる原初の連続性から相互作用するシステムが多数出現する。この大きなシステムのなかで元の線は個体性を溶融させていく(6章)。線を作る点の個体性を無くしてしまう、無数の潜在的次元。この物の側にある「レアーレ」が宇宙の起原。
「主観、客観、関心、および目的は連続的である。...根本的経験論者であるということは...この接続関係を握って離さぬこと...(連続性に)穴があきでもしたら、弁証法という汚濁物や形而上学的な虚構物が...どっと流れ込んでくる...初めから与えられている連続性を一人立ちさせて、おのが道を歩ませてやるべきである。」「最初の経験は最後の経験を知っている」。
プリンストン時代のギブソンの先生、ホルトの思想のエッセンス「フロイト流の意図」には直接知覚論をもたらした特定性の発想の萌芽がある。環境と情報についてのまったく新しいアイデアについて理論的に吟味した5つの論文。生態心理学の上級コース。
運動制御の自由度問題を提起した20世紀最高の運動学者。パブロフを引用しなかったことで、(本当はユダヤ人狩りで)中央研究所の要職を追われた。没後、一般向けの本の原稿が手書きの絵とともに娘の家で発見された。巧みさとは、身体の動きの3つの層(姿勢、リズム、軌道)を重ねて、周囲と関わるコツをつかむこと。
青山真治「映画にとって身振りとは何か」、保坂和志「小説、言葉、現実、神」、哲学者、染谷昌義と斎藤暢人による「アンダーグラウンド哲学史」対談など。
心理学、工学、建築学、哲学における存在論的転回。
ディスポジション:配置としての世界 哲学、倫理、生態心理学からア−ト、建築まで、領域横
天内大樹、大橋完太郎 / 現代企画室
2008/06出版
ISBN : 9784773808063
¥2,415 (税込)
「世界は配置であり、人間は自らを取まく配置によってたえず態勢づけられている」。競馬の騎手は「馬の力を120パーセントにすることなどはできない。...騎手は馬に対してマイナスにしか作用しない。...騎手にできることは、そのマイナスをできるかぎり少なくすることなのだ」。存在者同士の関わりは配置である(編者前書)。
精神科医が哲学者に問う歴史。ギブソンがヘルムホルツの生理光学の克服を生涯の最大の課題としたことは知られている。「ニュートン力学というのは、じっさいには十七世紀の末に成立したんだけれども、なかなか素人に分かるようなもんじゃなかったらしい。それがとにかく誰にでも利用可能な物理学理論としてマニュアル化されたのは、十九世紀半ばごろになってからなんです。ヘルムホルツという大物理学者がいましてね。...ヘルムホルツ学派というのが...ニュートン力学を利用可能な理論体系にしたんです」(木田発言 3章)。19世紀の天才(熱力学の創始者の一人でもあった)ヘルムホルツが、心理学をニュートン力学のマニュアルにした!
ムシにとって自然ではありえない実験状況を設定する。だんだんと実験がうまくなる。「未知の状況を設定するためには、その対象にとって未知でない、日常的な状況を先に知らなくてはなりません。そのためには、対象と、とことん付き合うしかありません。...淡々と付き合うこと、そしてもう一つ、「何とかなるさ」という心構え...。」 そして、心とは「未知の状況における予想外の行動を発言させる能力」だと気づいた。だから、心の科学とは、「働きかけ、そして待つこと」!
リスト3:アート
「直観と運と判断力、そして忍耐の相乗効果だ。決して急いてはならない。五感をフルに働かせ、つねに注意を払いつづけ、直観に基づいて撮影する、誰かがおもしろい帽子をかぶっていて、それをキャメラとともに追っていったら、驚くべきシークエンスに出くわす。そんなことはしょっちゅうだ。」ワイズマンへのロングインタビュー。作品の細部を例にひきながらワイズマンが話すテクニックと記憶。
「70年代に別の大きい一派が出てきます。それがニューカラーという流れなんですが、「そもそも決定的瞬間なんかないよ」という姿勢においてギブソンの考えと共通しています」「持続している時間をいつ撮っても同じだという態度で写真を取りはじめた動きなんです」
ジェームズ・タレルへインタビュー2回。タレルの深い眼は、そうだよ、君のいうとおりだ、といっているのに、意味が少しだけずれていくアートの語り。Ⅲ部の1章「あらゆるところに同時にいる」というギブソンの謎のフレーズの意味が、わかったように思った。だから知覚には終わりはない。
アフォーダンスとは高次のレイアウトである。松浦寿夫(画家)、畠山直哉(写真)、塚本由晴(建築)、鈴木一誌(ブックデザイン)とアートのレイアウトについて対談。ダンスや相撲のレイアウトについて。デューラーがちょうど500年前に書いた芝草の表紙。豊富なカラー写真。美しい本。鈴木一誌さん、小島直人さんと協働。
原宿オフイスで繰り返す会話。真ん中に大きな収納箱がドーンとあって、「部屋は隅から物で埋まるから」と深澤さん。終了後はピザと赤ワイン。編集の藤田六郎さんがたくさんの項目解説を付加して、3つの話が教科書風に収まった。
東京大学院生のアート解析を、平田オリザ、柳家花緑、井上道義、 マルグリット・フランス(ヴァイオリン)、高坂希太郎(アニメーション)、岩名雅記(舞踏)、新正卓(写真)、吉田勘弥(文楽人形)が縦横に論じる。「アートの行為」研究の可能性を探る。
世界トップクラスのアスリートから1時間で何が聞けたのか。潮田玲子(バトミントン)、名波浩(サッカー)、松下浩二(卓球)、朝原宣冶(陸上)、鈴木亜久里(F1)、堀井学(スピードスケート)、皆川賢太郎(アルペンスキー)、鹿島丈博(体操)、澤野大地(棒高跳び)、舟木和喜(スキージャンプ)、寺内健(飛び板飛び込み)、武田大作(ボート)、武田美保(シンクロナイズド・スイミング)、吉田沙保里(レスリング)、野村忠宏(柔道)、友綱親方(相撲)。雑誌バーサス編集部中町俊伸さんと全国行脚。
リスト4:枕もとの本
「...眼科開業医でもあった作家は59歳のときに、もう解決ずみのことは書かない、これからは他人の同感を期待しないで、「自分の考えや生活を一分一里も歪めることなく写」す「私小説」だけを書くのだ、と宣言をした。しかし、その後に実際に書かれた...『田紳有楽』は、にせものだということに長く悩む池の中に沈殿する陶器が菩薩と飛行する話なのである。...リアリズムは恐ろしい。」(UP 378(2004年)より転載)
「米駐留軍キャンプで液体の定量分析をしている男の一日。手順を一つ聞違えると結果は出ない。そこに「おれがなくったって、ちゃんとある物」を感じて、男はこの仕事が気に入っている。...主題を決めて材料を集めた小説ではない。出来事が濃く流れるだけ。しかし「化学反応」が起こり「一日」の重量が現れる。小実昌さんは編集者に「題名はなしにしてくれ」としつこくたのんだらしい。40歳になる頃、ぼくはこの本ばかり読んでいた。中年になる薬だった。」(毎日新聞書評 2009年12月13日から転載)
17歳でポリオにかかる。聞くことはできるが、「両目以外は何も動かすことができずに、ベッドで寝ていました。いったい、どうしたら楽しめるだろう?...まわりの人たちと環境を観察し始めました。すぐに姉たちが「はい」の意味で「いいえ」と言うことができることを学びました。...私は非言語的なことばと身体のことばを学び始めたのです。...やっとハイハイをしたばかりの赤ちゃんの妹がいました。...ハイハイから立ち上がることを学んでゆく成長過程を、私がどんなに真剣に見ていたか...。」 エリクソンは観察から自分の身体の動かし方を習得する。身体運動から発話まで、全レベルのコミュニケーションの技術を獲得して「催眠の天才」(全米催眠学会創設者)になる。身体運動、会話、言葉の意味まで、ヒトのしていることは、動きからすると一つながり。全部コミュニケーション。
「恩寵とは、下降運動の法則である。...まったく執着から離れきるためには、単なる不幸だけでは十分ではない。慰めのない不幸が必要である。...怪我をすること、それは、職業がからだにくいこむということなのだ。苦しみのたびごとに、宇宙がからだの中にくいこんでくるように。」
動悸、結滞、不整脈、蕁麻疹、喘息。不安と苦痛の観測の日々。なにもしない。そのまま、それと共に、生きる。
「私は...誰が相手にしてくれなくとも、石ころ一つとでも十分暮らせます。石ころをじっとながめているだけで、何日も何月も暮らせます。」
崋山の描いた、たくさんの絵が収められている。ぼうだいな文献資料を使って、あくまで簡潔な表現。
「じんぶんや」とは?
こんにちは。じんぶんやです。
2004年9月、紀伊國屋書店新宿本店5階売場に「じんぶんや」という棚が生まれました。
「じんぶんや」アイデンティティ1
★ 月 が わ り の 選 者
「じんぶんや」に並ぶ本を選ぶのは、編集者、学者、評論家など、その月のテーマに精通したプロの本読みたちです。「世に溢れかえる書物の山から厳選した本を、お客様にお薦めできるようなコーナーを作ろう」と考えて立ち上げました。数多の本を読み込んだ選者たちのおすすめ本は、掛け値なしに「じんぶんや」推薦印つき。
「じんぶんや」アイデンティティ2
★ 月 が わ り の テ ー マ
人文科学およびその周辺の主題をふらふらと巡っています。ここまでのテーマは、子どもが大きくなったら読ませたい本、身体論、詩、女性学...など。人文科学って日々の生活から縁遠いことではなくて、生きていくのに案外役に立ったりするのです。
ご愛顧のほど、どうぞよろしくお願いします。
「じんぶんや」バックナンバー
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