【情況を読む@新宿 VOL.40】社会⇔労働⇔個人――「事件」の発現について
日々うつりゆく「情況=いま」を、ある視点(テーマ)で切り取って、「今だからこそ読みたい」本をあつめる紀伊國屋書店新宿本店の常設ブックフェア「情況を読む」。今回のテーマは「社会⇔労働⇔個人――「事件」の発現について」。
新宿本店2階エレベータ脇で6月5日(日)まで、開催中です。
それは「偶然」か? それとも「必然」か?――「事件」との遭遇
誰かが誰かの「人生」を助けることもあれば、誰かが誰かの「人生」を奪ったり傷つけてしまうことが、ある。生身の人間どうしの関係である場合もあれば、「世間」だの「社会」だの「職場」だの「家族」だの「地域」だのといった第三項が媒介となる場合もあるでしょう。
ある時、突然顕在化する「人生」と「人生」の邂逅。それが「事件」という形で発現した時のつらさや痛みは想像を絶することのように思えます。ですが、苦しみや痛みを想像できないものとして「括弧に入れ」てしまうことも、実のところ無理なようにも思えるのです。
社会・労働・個人――この三つの「手触り」から、まずは始めてみようと思います。
(新宿本店仕入課 大籔宏一)
取材の積み重ねから事件に肉薄した力作。現時点で決定版と言える一冊。
事件から間もない時に開催されたシンポジウムを収録。あの時何を考えようしたのか、どんな言葉を求めていたのか。同時代の貴重な記録。
2010年代のとば口にあって、〈00年代〉を振り返ろうと試みた論集。「近過去」をとらえ直し続けるための重要な参照項。
宗教意識/現象として事件をつかもうとする意欲的試み。具体的事件を扱った第3部から入ってもよいが、ぜひ第1部の「宗教原理論」にもチャレンジして頂きたい。
1921年安田善次郎を暗殺した男、朝日平吾。その「鬱屈」を現代に重ねわせるという「挑戦」を、受け止めてみたい。
この事件に言及した論者は少なくない。が、本当にそれは参照項として妥当であったのか。自ら直接言葉に触れてみるしかないだろう。
日本の社会学の最高の到達点の一つであることは間違いがない。これがゴールであってはいけない。スタートにしなければならない。そう思わせる。
19歳を過ぎてから読んでしまったのはいいのか悪いのか。自分の19歳がどうだったかと思い起こす。ざらついた手触りがある。自分はこうでなかった、と容易に言えないような何かが、ある。
何をもってプロレタリア文学とするのかは知らない。ある種のリアリズムと考えればそれはそれでひとつの芸術のありようだろう。アンソロジーも収録されており、「最初の一冊」として好適。
表題作は文庫本でたったの6頁。しかしこの6頁を読み終えたのち、周りの風景が違って見えてくるだろう。「浚渫船」の悲痛な叫び、「濁流」のやるせなさも捨てがたい。
生きのびることの希望について考えてみる。
奇妙な手ごたえが、ある。思い当たるフシが、ある。働くというのは今どういうことか、そう考えてみる時に欠かせない一冊。
法廷で真実は明るみになるのだろうか。判決という名の「結論」は出る。しかし......
「でも、ほんとうは田舎に帰ることも職場を変えることも、ぼくらは信じてはいないのです。ほかに話すことがないから、仕事を変えるのだと気負ってみるのです。そしてきっと仕事を変えるのです」(P.130)
渾身の対話を、忠実に読んでみること。それなしには何もできないのだと思わせるこの迫力はいったいどこから来るのか。
サブタイトルにある「エチカ」の文字がずしりとくる。繰り返し繰り返し読んでほしい。読むたびに発見がある。
評する言葉を絞り出すことは容易ではない。手に取ってしまったら、自分自身をフル回転せざるをえなくなるだろうということだけは言えそうだ。
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日々出版される本は多く、既に出版された本も数知れず。そんな「洪水」の中でふと、「こんな本を今読み返したい」「今だからこそこの本と一緒にこれもあわせて読んでみたい」と思うことがあります。
そんな「今」を、「情況」と名づけました。企画者の思いを込めた選書をお届けします。
情況を読む@新宿
VOL.40「社会⇔労働⇔個人――「事件」の発現について」
場 所 紀伊國屋書店新宿本店2Fエレベータ脇
会 期 開催中~6月5日(日)
お問合せ 紀伊國屋書店新宿本店 03-3354-0131
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