【じんぶんや第70講】斎藤環選「キャラクター、その本質を問う」
紀伊國屋書店新宿本店5階の月がわりブックフェア「じんぶんや」、今月の選者は2011年3月に『キャラクター精神分析』を刊行した斎藤環さん。「『キャラ』の最終定義とは?」というテーマで、じんぶんやにエッセイをいただきました。
斎藤環さんエッセイ「『キャラ』の最終定義とは?」
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日本人は「キャラ」が好きだ。いまや日常生活のあらゆる場面にキャラが浸透している。漫画やアニメは言うに及ばず、政府の各省庁のキャラから自治体の「ゆるキャラ」、ケータイのストラップからファンシーグッズ、お笑い芸人から仲間内の関係まで、もはや「キャラ」なしには語れない。なにしろ首相までが「私はキャラが立っている」と言い放つ国なのだ。
しかしあらためて「キャラとは何か」を問われれば、これが意外に難問なのである。
「キャラクター」の本来の意味は、「特徴」や「性質」のことだ。しかし、たとえば漫画のキャラクターと、友達の「キャラ」とが、どこまで共通の意味を持っているか、あるいはどのように使い分けられているか、このあたりの線引きは意外に難しい。果たして「キャラ」を定義づけることは可能なのか?
いきなりで恐縮だが、ここで本書の結論を書いてしまおう。
「キャラクター」とはすなわち「同一性を伝達する記号」である。より正確には「同一性のコンテクスト」を伝達する記号、ということになる。逆の言い方も成立する。複数の虚構世界内で、一貫して同一性が認識される存在があれば、それが「キャラ」である。
構想八年のアイディアだけに、いささかの自負を込めて言わせてもらえば、これはさしあたり「究極の定義」である。キャラの本質と「同一性の謎」について、じっくりと考え抜いた末の結論だ。今後キャラクターについて少しでも本質的に論じようとするものは、まずこの定義を乗り越えなければならないだろう。
なぜそのような結論になるのか。本書では、いじめ研究、漫画、アニメ、ライトノベル、アートにおけるキャラ、社会現象としてのキャラなどについて、それぞれ各論的な分析を試みた。各論ごとにキャラの本質を抽出し、そこから最終的に導かれる総合的結論として、さきの定義に辿り着いたのである。
それぞれの章にもめいっぱいアイディアを詰め込んであるので、まずはそこを楽しんでもらいたい。この本では、さまざまなキャラクター事象を紹介するのみならず、現象から本質を導き出すための思考過程を辿りやすいように記述してある。少しでも「考えることの楽しみ」にふれてもらえれば幸いである。
本書のもう一つのテーマは、東浩紀氏のデータベース理論への批判である。ゼロ年代を席巻したこの重要な論点の功績を評価しつつも、「キャラ」から「人間」へ、「確率」から「固有性」へと重心の回復をはかること。その目論見が成功しているかどうかは、読者の判断にゆだねたい。
なお異論や批判はツイッター上で受け付けている。重要な疑問にはきちんと答えるつもりなので、遠慮なく挑戦してみて欲しい。
斎藤環(さいとう・たまき)さんプロフィール1961年、岩手県生まれ。90年、筑波大学医学専門学群環境生態学卒業。医学博士。現在、爽風会佐々木病院精神科診療部長(87年より勤務)。青少年健康センターで「実践的ひきこもり講座」ならびに「ひきこもり家族会」を主宰。専門は思春期・青年期の精神病理、および病跡学。兼業批評家として、サブカルチャー、文芸、アート、映画などについても著書がある。著書に『文脈病』(青土社)、『社会的ひきこもり』(PHP研究所)、『戦闘美少女の精神分析』(ちくま文庫)、『関係の化学としての文学』(新潮社)、『脳と心』(茂木健一郎との共著、双風舎)、『「社会的うつ病」の治し方』(新潮社)、『キャラクター精神分析』(筑摩書房) ほか多数。
人間関係にかかわるフェーズ(「いじられキャラ」など)においても、マンガやラノベ、現代アートといった文化領域においても、いまや「キャラ」というファクターを無視しては、何も語り得ないに等しい。
本書はそうしたキャラ文化の諸相を横断的に分析し、「キャラとは何か」ついて究極の定義を与える。10年代の批評言語に新視角を与える、画期的論考である。
斎藤環さん選書・コメント(一部)
海外でのキャラクター発祥の歴史をふまえつつ、主として著作権やキャラクター市場といったマーケティングの視点に絞って簡潔にまとめられている。視点を絞り込むことが内容を豊かにするというお手本のような好著。
現在、いじめの現場では、教室内のスクールカーストが問題となっている。この身分制とコミュニケーション偏重主義の中で、子どもたちは「キャラ化」を強制されている。現代の思春期の息苦しさを構造的に解き明かしている
今年アメリカでも翻訳出版された私の代表作。「戦闘美少女」という日本固有のアイコンが、虚構内でのみ生息可能なキャラクターであり、そのリアリティを支えるコミュニケーション空間としての「おたく」共同体の構造が分析されている。
「キャラクター」と「キャラ」の区分、あるいはマンガにおける「フレームの不確定性」など、本書が提起したアイディアにはいくども助けられた。キャラ分析の基本は漫画(名前+図像)にあることを確信させてくれた本でもある。
東浩紀の代表作である本書は、キャラクターの生成原理としてデータベース理論を提起した。その画期性を評価しつつも、それを批評的に乗り越えることを本書は目論んでいる。著者は「黒歴史」発言が一時のものであることを今は信じたい。
本書で紹介された漫画の始祖のひとり、ルドルフ・テプフェールに関する記述が、「キャラ=同一性の記号」という定義のヒントをもたらしてくれた。漫画に限らず、"顔"表現の歴史として読んでも、きわめて興味深い本である。
大塚の「まんが・アニメ的リアリズム」というアイディアは、現実を模倣しないリアリズムの存在をはじめて明確にした言葉である。実作者の立場から、キャラクターなど引用で作ってしまえと挑発する著者の言葉は、どこかひどく禁欲的にも思える。
「アキハバラ」ブームを決定的にした本書は、ヴェネチア・ビエンナーレ日本館という作品をも生み出した。キャラクターの媒介によって街の風景が変わってしまうさまを説得的に記述した著者の名言、それは「少女は建築だ!」。
僕の本でもふれたが、なぜデリディアンの東浩紀は、「アーカイブ」ではなく「データベース」を選んだのか。自ら自律性をもち、事後的な解釈によってどんどん書き換えられていく「アーカイブ」こそ、キャラクターの生成源の比喩に相応しいと思われる。
*斎藤環さんが「キャラクター、その本質を問う」で選んだ本とコメントを全点分掲載した小冊子を公開しています。→じんぶんや第70講│斎藤環選「キャラクター、その本質を問う」小冊子をダウンロード
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「じんぶんや」とは?
こんにちは。じんぶんやです。
2004年9月、紀伊國屋書店新宿本店5階売場に「じんぶんや」という棚が生まれました。
「じんぶんや」アイデンティティ1
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「じんぶんや」に並ぶ本を選ぶのは、編集者、学者、評論家など、その月のテーマに精通したプロの本読みたちです。「世に溢れかえる書物の山から厳選した本を、お客様にお薦めできるようなコーナーを作ろう」と考えて立ち上げました。数多の本を読み込んだ選者たちのおすすめ本は、掛け値なしに「じんぶんや」推薦印つき。
「じんぶんや」アイデンティティ2
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人文科学およびその周辺の主題をふらふらと巡っています。ここまでのテーマは、子どもが大きくなったら読ませたい本、身体論、詩、女性学...など。人文科学って日々の生活から縁遠いことではなくて、生きていくのに案外役に立ったりするのです。
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【じんぶんや第70講】斎藤環選「キャラクター、その本質を問う」
場 所 紀伊國屋書店新宿本店 5Fカウンター前
会 期 2011年5月2日(月)~6月3日(金)
お問合せ 紀伊國屋書店新宿本店 03-3354-0131














