【じんぶんや第69講】末延芳晴選「クロスオーバーする精神」
末延芳晴さんエッセイ「クロスオーバーする精神」
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クロスオーバーという用語は、主としてアメリカの70年代以降、黒人音楽の分野で台頭してきた新しいジャンルの音楽を指して使われ、ジャズやブルース、ソウル、ロック、西洋クラシック音楽など、本来ジャンルを異にする音楽の要素を複数、取り入れて作られる音楽を意味するものである。
しかし、色々な要素の音楽を混ぜ合わせて、第三者が適当にアレンジして新しい音楽を創るというレベルを越えて、もう少し深くクロスしていく主体の側に立ち、クロスオーバーを異質な文明や文化に自ら進んで飛び込んでいき、激しい対立と葛藤を通して現出してくる混沌たる時空間から、創造的エネルギーをくみ取り、独自の新しい美的価値の体系を創り出すという意味にとらえると、こうした異分野の音楽との出合いと葛藤、統合を通して生み出されたクロスオーバー・ミュージックは、黒人音楽の一ジャンルとして認められている「クロスオーバー」の域をはるかに越えて広く認められるところである。
例えば、60年代以降世界を席捲することとなるビートルズやローリング・ストーンズなどのニュー・ロックは、黒人音楽、特にブルースやリズム・アンド・ブルースと濃密にクロスオーバーして生まれたものであるし、イギリスから出てきたプログレッシブ・ロックバンドのエマーソン・レーク・アンド・パーマーの音楽は、ニュー・ロックをクラシック音楽にクロスオーバーさせて生まれたものである。
音楽におけるクロスオーバーはロックだけに止まらず、ロックからジャズあるいはブルース、ジャズあるいはブルースからロック、ロックから民族音楽(特にインド音楽)、ジャズからクラシック、さらにはクラシックからロックやジャズへなどなど、ほとんどの分野においてみられ、すべての音楽はクロスオーバーでできていると言っても過言でないほどである。
もう一つ例を挙げてみよう。典型的なクロスオーバー作曲家と見なされるジョージ・ガーシュインは、19世紀の末、ユダヤ系アメリカ人の子としてニューヨークのブルックリンに生まれ、イーストビレッジなどのユダヤ人コミュニティでユダヤ音楽(クレツマーと呼ばれる)を聞いて育っている。しかし、ガーシュインが音楽に目覚め、作曲を志すようになったのは、クラシックのピアノ演奏の訓練を受けるかたわら、その当時アメリカでもっともポピュラーに演奏されていたダンス音楽としてのラグタイムの洗礼を浴びて成長したからであった。十代前半で、早くもユダヤ音楽とクラシック、ラグタイム、白人階層向けのポピュラーミュージックにクロスオーバーしていたガーシュインは、さらに成長するに及んで、ブルースやジャズなど一層「黒い」音楽にクロスオーバーすることで、独自の音楽語法と感性に磨きをかけていく。そして、1923年に「ジャズ・オーケストラのために」と題して『ラプソディ・イン・ブルー』を作曲、一躍「ジャズ・エイジ」の作曲家として認められ、以後、『パリのアメリカ人』や初めての黒人オペラとされる『ポギーとベス』など、20世紀アメリカ音楽を代表するクロスオーバーな音楽を次々と作曲していくことになる。
ところで、芸術表現におけるクロスオーバーは、音楽だけでなく、文学や美術、演劇、舞踏、建築、ファッションなどほとんどあらゆる分野において認められるところであり、クロスオーバーする精神こそが、芸術創造の母体であるといってもよい。さらにまたクロスオーバーは、表現の世界だけでなく、個人の生き方や志向性、思想や理念、学術研究などのレベルにも及ぶもので、かくいう私自身の生き方もクロスオーバーといえるものであった。
学生時代には中国語と中国の現代及び古典文学を専攻することで、中国にクロスオーバーしようとした私は、当時の政治的理由で中国にクロスオーバーできない現実に嫌気がさしたのと、社会主義リアリズムを声高に提唱する現代中国の文学や映画、音楽芸術に飽き足らないものを感じて、クロスオーバーの対象を中国の古典詩、特に杜甫の詩の研究に変えて大学院に進んだ。
しかし、重箱の隅をつつくように実証的にテキストを解読していく作業が本来自分の資質にあわないことを認識したのと、オノ・ヨーコの芸術こそ私の求める芸術と言い切ってはばからない女性と結婚したのを契機に、1973年の夏に日本を脱出。北欧からイギリスのロンドン、ケンブリッジと放浪してアメリカに渡り、最終的にニューヨークを生活の場として選んでからは、アメリカをアメリカたらしめている自由とか平等、公平といった理念や共同性、様々な異なった人種や言語、宗教、文化的価値を共存させ、それらをクロスオーバーさせながら新しい価値を生み出そうと日々生きているアメリカ人のライフスタイル、さらにはその成果としての音楽や美術などの芸術表現こそが私の生を委ねるに値する共同性であることを発見し、ジャズやブルースからロック、クラシック音楽、オペラ、現代音楽、現代美術......と、明けてもクロスオーバー、暮れてもクロスオーバーという生活を続けることになる。こうして、アメリカに、いやニューヨークにクロスオーバーすること25年、その間に摑み取ったものが、現在、森鷗外や夏目漱石、永井荷風、寺田寅彦らの文学についてクロスオーバーという視点から評論の仕事を続ける上で基礎を培ってくれたといえる。
クロスオーバーはまた、個人のレベルを超えて、集合的/共同的レベルにおいても、国家や民族、社会、さらには文明のあり方を前に推し進める力として働いてきた。例えば、明治維新以降、明治新政府が官民挙げて国家的プロジェクトして取り組んだ「文明開化」は、多分に日本の伝統文化を犠牲するという側面があったにもかかわらず、西洋の文明・文化にクロスオーバーすることで達成されたものである。あるいはまた、南北戦争における北軍の勝利と奴隷解放宣言の後、アメリカは様々な曲折を経ながら、白人と黒人が差別の壁を乗り越えてクロスオーバーし、一つのアメリカに統合することを志向し、現にそれを達成してきたことでアメリカのアイデンティティを確立してきたといえる。
いや、歴史をさらに古くたどれば、古代日本の国家や社会の制度、言語や宗教、文学や音楽、絵画、建築、彫刻などの表現芸術文化のすべてが、大陸中国や朝鮮からの帰化人と遣唐使によるクロスオーバーによって達成されたともいえる。それは日本だけでなく、人類史上、いつの時代、どこにあっても、異文化・異文明とのクロスオーバーこそが、人類の文明や文化を進歩させる原動力であった。
クロスオーバーする精神こそが、私たちの文明や文化をここまで進化・発展させてきた。本ブックフェアでは、ささやかではあるものの、クロスオーバー人間として生きてきた私が、文学や音楽、学術などの分野においてクロスオーバーの成果として認められるもの、あるいはクロスオーバー精神を持ち、クロスオーバー的生き方を貫いた文学者や音楽家だからこそ生み出せたと思われる作品から、特に私がクロスオーバーの視点から森鷗外や夏目漱石、永井荷風、寺田寅彦らの文学について書き進める上で影響を受けたものを選んでみた。
すでに記したように、「クロスオーバーする精神」の働きは、あらゆる表現行為の根底において発動している創造の母体でもある。その意味で、「クロスオーバー精神」の発露として見なされるべき作品は無尽蔵に存在するわけで、ここに私の挙げた作品群はほんの一部にすぎない。そのことを認めたうえで、願わくば、一人でも多くの人に、「クロスオーバーする精神」という視点から、世界のあらゆる事象を見直してもらいたい。そうすることによって、世界は俄然生き生きとした相貌を持って私たちの前に蘇ってくるはずだから......。
日本人の意識が内向きに閉じ、石川啄木の言う「時代閉塞の状況」がますます進む中、今、日本人、特に若い世代の日本人に求められているのは、異質な世界に飛び込んでいき、自分自身の生きる根拠が根こそぎ奪われるかどうか、ぎりぎりの戦いを潜り抜け、新しい価値の体系を生み出そうとするクロスオーバー精神ではないだろうか。
末延芳晴(すえのぶ・よしはる)さんプロフィール1942年生まれ。東京都出身。文芸評論家。東京大学文学部中国文学科卒業。1973年より1998年までニューヨーク在住。アメリカの現代音楽から美術、文化、風俗についてクロスオーバーな評論活動を行う。1998年に『永井荷風の見たあめりか』(中央公論社)を刊行したのを機に、家族と共に日本に帰国。
その後は文学評論、特に明治期にドイツやイギリス、アメリカに留学/遊学し、そこでの生活体験を通して獲得したものを表現の根底に据え、近代文学の礎を築いた森鷗外、夏目漱石、永井荷風などの文学について、「クロスオーバー」の視点から評論活動を行う。2004年1月26日より、自衛隊のイラク派兵に反対して、インターネットを介したハンスト・リレーを立ち上げ5年間、そのうち、毎週3回のハンストを3年、2回の断食を2年間続ける。
主な著書に、『回想のジョン・ケージ』(音楽之友社)、『永井荷風の見たあめりか』(中央公論社)、『荷風とニューヨーク』(青土社)、『ラプソディ・イン・ブルー』(平凡社)、『夏目金之助、ロンドンに狂せり』(青土社)、『荷風のあめりか』(平凡社)、『森鷗外と日清・日露戦争』(平凡社)、『寺田寅彦 バイオリンを弾く物理学者』(平凡社)、『正岡子規、従軍す』(平凡社)など。
今も魅了してやまない、このマルチな創造的精神の核心の秘密に、「音」「音楽」という視角から迫る画期的論考。
末延芳晴さん選書・コメント(一部)
僕の聴いてきた クロスオーバー・ミュージック・ベスト20+α
末延さんが当フェアのため、クロスオーバー・ミュージック・ベストを選んでくださいました。力作です。合わせてご覧ください!
活字の分野から音及び音楽の分野にクロスオーバーし、僕が25年に及ぶニューヨーク生活を通して聴いてきた、「マイ・モースト・フェイヴァリット・クロス・オーバー・ミュージック」を紹介しておきます。最初は10曲、あるいはアルバムで10枚くらいと思って選んだのですが、手持ちのCDや古いLPレコードを聴き返し、デモテープを録音している内に面白くなってきて、あれもこれもということで、最終的にはカセット・テープで通して6時間。ここに収められたクロスオーバー音楽を聴くことで、今日の僕が作られたと思って下さって結構です。
言うまでもないことですが、ほとんどの音楽の根底にはクロス・オーバーの要素が流れ込んでいるから、ここにリストアップしたCDやアルバムは、膨大な数のクロス・オーバー・ミュージックのほんの一部にすぎません。そうした意味で、大変恣意的かつ独善的な選択と受け止めていただいてかまいません。当ブック・フェア―開催中は、バックグランド・ミュージックとして6時間のテープを流しておきますので、本を選びながら耳を傾けていただければ幸いです。
尚、再生中の曲目とアーチストの名をお知りになりたい方は、曲目リストとコメントを載せたちらしを参照してください。
ほとんどのレコードとCDはニューヨークで集めたものなので、日本では入手が困難かと思います。どうしても入手したいと思われる方は、インターネットのオークションなどで根気よく探せば、手に入るかもしれません。
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「じんぶんや」とは?
こんにちは。じんぶんやです。
2004年9月、紀伊國屋書店新宿本店5階売場に「じんぶんや」という棚が生まれました。
「じんぶんや」アイデンティティ1
★ 月 が わ り の 選 者
「じんぶんや」に並ぶ本を選ぶのは、編集者、学者、評論家など、その月のテーマに精通したプロの本読みたちです。「世に溢れかえる書物の山から厳選した本を、お客様にお薦めできるようなコーナーを作ろう」と考えて立ち上げました。数多の本を読み込んだ選者たちのおすすめ本は、掛け値なしに「じんぶんや」推薦印つき。
「じんぶんや」アイデンティティ2
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人文科学およびその周辺の主題をふらふらと巡っています。ここまでのテーマは、子どもが大きくなったら読ませたい本、身体論、詩、女性学...など。人文科学って日々の生活から縁遠いことではなくて、生きていくのに案外役に立ったりするのです。
ご愛顧のほど、どうぞよろしくお願いします。
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【じんぶんや第69講】末延芳晴選「クロスオーバーする精神」
場 所 紀伊國屋書店新宿本店 5Fカウンター前
会 期 2011年3月31日(木)~5月1日(日)
お問合せ 紀伊國屋書店新宿本店 03-3354-0131















