【じんぶんや第66講】 杉浦康平選「一枚の紙、宇宙を呑む」
杉浦康平さんエッセイ「一枚の紙、宇宙を呑む」
◎「ただの」紙から、「ただならぬ」紙へ......
一枚の紙が、机の上に置かれている。なんの変哲もない、静かな日常の風景である。薄くひろがり横たわる一枚の白紙――たとえば仕事で使うコピー用紙――は、ごく日常的な素材としてあしらわれる。ときに見るものの視線にもとらえられず、その幽かな存在感さえ失いかける。
しかしひとたび、なんらかの意志をもつ者がこの白紙に手を触れ、文字を記し、線を引き、色を塗りはじめると、一枚の紙は情報を載せた物体となり、あるいは人の心を映しだす鏡へと変容して、時・空間の中で自立しはじめる。
一枚の「ただの」紙から「ただならぬ」紙へ、ときに「かけがえのない」一枚の紙へと存在感を変える。
◎紙の厚さをたしかめる......
ごく普通に私たちが使う紙として、A4判の上質紙がある。A4判とは、A0(ゼロ)判という規格紙(ヨコ:タテの比が1:1.42、つまり√2矩形のプロポーションで、面積が約1㎡)を4回折ったときの大きさで、ヨコ210mm、タテ297mmの寸法をもつ。タテ・ヨコともに、なぜか3mmの倍数である。
一枚の紙を指でつまむと、ふわりと軽い。いったいどれほどの厚さなのか。どうすれば簡単に紙の厚さを計ることができるのか。
最も簡単な方法は、積まれた事務用紙を10枚とりあげ、その厚さを計ること。厚さが1.5mmあれば、一枚が0.15mmだとわかる。本の場合にはノンブルを調べ、200ページまでをつまみとる。文庫本ならば8~9mmほどになるだろう。すると一枚の紙の厚さは0.08か、0.09mm。0.1mm以下の薄い紙だということが読みとれる。
◎感覚器に潜む、0.1mmの厚さ......
0.1mm、あるいは0.2mm。この薄さをあなどってはいけない。
直径24mm。10円玉をくるりと廻した球体と同寸の、眼球内部にひろがる網膜の厚さは0.1~0.2mm(中心窩と呼ばれる高感度の視細胞が集中する部分はやや厚く、0.4~0.5mmほど)。約14c㎡にひろがる網膜には、日本の人口にほぼ等しい1億3千万の視細胞がびっしりと並び、眼球内に飛びこんでくる光子を待ちうけている。
もう一つは、両耳の中耳に張られている鼓膜である。直径わずか8~9mm。ワイシャツのボタン大の鼓膜の厚さも、0.1mmだという。小さな鼓膜は繊維層がよく発達し、幽かな葉ずれのささやきから200人のオーケストラが発する巨大音響の多彩な音を、絶妙に聴きわける。
光をとらえ、音を聴く。外界のざわめきを捕捉して人間の生存にかかわる薄い膜が、眼の前に置かれた事務用紙の厚さに深いかかわりをもつことに、驚かされる。
◎0.1mmの線が、50cm幅になり、600mの帯になる......
たとえば、新宿周辺の市街を5000分の1の地図に縮小すると、新宿駅から紀伊國屋本店までの距離の約3倍(丸の内線新宿御苑駅あたりまで)の領域が、A4判の紙の上に収められる。日本列島を取りこもうとすると、600万分の1の縮尺で、北海道の北端から九州の南端までがA4の対角線上におさめられる。
では、A4判に縮尺されたそれぞれの地図上に、線を一本、引いてみよう。
5000分の1の新宿市街図の場合、地図上に印された0.1mm幅の線は、その5000倍、つまり50cm幅の帯と化す。現実の空間では、人の肩幅ほどになる。600万分の1の日本列島になると、0.1mm幅は600mの帯(JR新宿駅北端から大久保駅あたりまで)へと拡張される。東京―大阪間は直線距離にすると約400 km。0.1mm幅の線分を670本ほど並べることで、埋めつくされる。
地球をとりまく月の軌道を収めたA4の紙ならば(月と地球の平均距離38万5千km)、縮尺は約2200万分の1。0.1mmの線は、220kmもの太さへと拡張される。地球の直径(1万3千km)の61分の1にあたる幅にふくらんでいる。
変幻自在の縮尺で紙面にとりこまれる、森羅万象の面白さ。縮尺に応じて幅を変える0.1mm線の変幻ぶり。
ダイナミックなデザインは、このような伸縮自在な感覚を駆使しなければ成立しない。それぞれの画面で、0.1ミリの線が意味するものをきちんと自覚することなしに、優れたデザインを生みだすことはできないのである。
◎ポスターは二次元的存在である......
都市の壁面に彩りを添えるポスター。貼りだされたポスターも一枚の紙である。多くのグラフィック・デザイナーが自らの仕事の見せ場と考える華麗なポスターは、紙の裏側を使わぬ二次元の情報メディアである。ポスターの裏側は白紙のまま放置され、高価な利権に支えられた都市の壁面に密着している。
◎2枚のA0判の紙で文庫本が生まれる......
机上の紙が、三次元の物質へと転じる瞬間がある。人が紙を手にとり、折りはじめると、その瞬間から紙の状態が激変する。紙はまごうことなき、三次元的存在へと変容してゆく。
そこで、0.1mmの厚さをもつA4の事務用紙を折り畳んでみよう。二つ折りでA5判。もう一つ折ると、A6判(文庫本の大きさ)。一枚の紙はそれ自身、表裏2ページをもっているので、二つ折りして切り離すと4ページ。次の二つ折りでは、8ページ。つまりA4判を2回折ると、8ページのA6判が生まれでる。0.1mmの紙を使えば、8ページで0.4mmの厚さになる。
折ることで紙は、半分・半分と小さくなるが、着実にページ数をふやし、その厚みを増してゆく。
ところで、ごく普通の厚さをもつ文庫本、A6判258ページの文庫本が、たった二枚のA0判の紙で出来ているといったら、驚く人が多いだろう。
A0判を二つ折りするとA1判・4ページになる。さらに二つ折りを続けるとA2判(2回目・8ページ)、A3判(3回目・16ページ)、...A6判(6回目・128ページ)へと変化する。0.1mmの紙を使えば、すでに6.4mmの厚さにふくらんでいる。
「はい、刷了紙です」...と、薄い大きな2枚の紙を眼前に差しだされると、これがなぜ実在感あふれる文庫本へと変容してしまうのか、にわかに信じがたい気分におそわれる。紙から本へ。ひらりとした頼りないものから確固たる三次元の物体へ...。蝶の羽化に似た激変ぶりではないだろうか。
◎太陽にもとどく紙の厚さ......
いま仮に、ここに0.1mmの巨大な紙があるとして、一折りごとに前の厚さの2倍になるという単純な計算を繰りかえしてゆくと、10回でおよそ2000ページ、厚さが10cmにも達している。14回目で164cm、成人の背丈と同じになる。19回目には52m、ビル15階分の高さにとどくほど。24回目には、なんと1.7kmという厚さに達してしまう。
この調子でゆくと、30回目にはすでに107km。37回で1400km。さらに42回目には、ついに月までの距離38万5千kmを越えて、44万km近くにまでとどいている。
ちなみに50回目には、折りこんだ0.1mmの紙の厚さが太陽までの距離、1億5千万kmの近く(1億1260万km)にまで接近してしまうことになる。(信じがたければ、2nで計算してください。)
50回近く折るだけで、地球と太陽の間を埋めつくすほどに厚みを増す、0.1mmの紙の力。紙は、その蜻蛉(かげろう)のような薄層の中に、宇宙を覆いきるほどの、熱い力を秘めていたのである。
◎『全宇宙誌』の誕生
1973年、私は、工作舎が刊行を決意した『全宇宙誌』のアートディレクションを引き受けた。宇宙の総体を丸ごと一冊に封入しようという、松岡正剛さんが夢みた「ブックコスモス」実現への挑戦である。
B5判、380ページ。3cmほどの厚さになるこの本の全体を、私は黒ベタ一色刷りで仕上げ、生々流転する暗黒空間、四角い直方体にまとめられた紙束のペーパーモノリスを出現させた。全ページにおよぶ無数の星々の煌めきのただ中を、内宇宙・外宇宙を往来する文字・図表・表象図形が浮遊する。
『全宇宙誌』は、「ただの」紙の束を、全宇宙に匹敵する「ただならぬ」紙の束へと昇華させて、1979年に刊行された。
杉浦康平(すぎうら・こうへい)さんプロフィール
1932年東京生まれ。
日本を代表するグラフィックデザイナー。そのブックデザインは数多くのクリエイターに影響を与え、中でも『伝真言院両界曼荼羅』(平凡社)、『全宇宙誌』『人間人形時代』(共に工作舎)は代表作の一つとして語り継がれている。
アジア図像への探求を深め、『日本のかたち・アジアのカタチ』(三省堂)、『かたち誕生』『生命の樹・花宇宙』(共にNHK出版)、『宇宙を呑む』(講談社)、『宇宙を叩く』(工作舎)からなる「万物照応劇場」シリーズを執筆。なお、これまでの業績については、臼田捷治『杉浦康平のデザイン』(平凡社)に詳しい。
「杉浦康平デザインの言葉」 杉浦康平 【工作舎】
革新的な手法でグラフィックデザインの可能性を切り拓いてきた杉浦康平。そのデザインを流れる気脈とは? アジアの世界観、美、文字、地図、ブックデザイン......5つの多彩なテーマに沿って、杉浦グラフィズムの源流をたどります。
第一弾
第二弾
第三弾 文字の霊力(れいりき)【近日刊行予定】
第四弾 地図化のこころみ【近日刊行予定】
第五弾 重層しあうデザイン【近日刊行予定】
杉浦康平さん選書リスト
■マンダラ宇宙
流動してやまない大自然。人の身体もまた、生きて変化しつづける動的均衡の有機体である。凝集し散逸しつつ、天地自然を流れ動く生命の本質を、古代中国の人びとは「気」と呼んだ。東洋の身体観は、固定した臓器の集合体として人体をとらえる西洋の身体観の対極にある。
このような身体観をもとにして東洋独自の自然哲学、心身の修行法が生まれでたことを、石田秀実の著作は深く悟らせてくれる。野口三千三は「からだ」と「ことば」を手がかりにして、体内に潜む大自然の感覚を目覚めさせ、三木成夫もその著作で、受精卵から成体への成長過程に刻みこまれた38億年の「生命記憶」への回帰の重要性を蘇らせる。
ヘリゲルの弓道観、L・ハーンが感じとる音空間なども、東洋的美意識の核心に触れて新鮮である。
■生命の記憶・気の流れ
■シンボルの文化
神話・儀礼・宗教・夢、そして芸術。人間が生みだした文化は、さまざまな象徴体系の統合体だといわれている。 ドイツ生まれのルルカーは、円相や樹木、鷲と蛇...などを題材にして、事物の背後に潜む象徴性の豊かさを例示する。「シンボルのメッセージ」は、象徴の狩人といわれたルルカーの、シンボル百科全書ともいうべきもの。
フランスのモルは社会心理学者だといわれているが、ヨーロッパの前衛音楽や情報美学の理論化にも関心をもち、科学と芸術を統合した都市空間分析にも視野をひろげている。「空間」「迷路」を主題とした二冊の著作で、彼のユニークな思考回路が展望できる。
The Body : An Encyclopedia of Archetypal Symbolism
Elder, George R.
Shambhala Pubns
1996/09発売
ISBN : 9781570620966
Mandala : Sacred Circle in Tibetan Buddhism
Brauen, Martin/ Debreczeny, Karl (CON)/ Heller, Amy (CON)/ Henning, Ed
Arnoldsche
2010/03発売
ISBN : 9783897903050
Roob, Alexander
TASCHEN VERLAG
2011年発売
ISBN : 9783822850350
An Encyclopedia of Archetypal Symbolism (Reprint)
Archive for Research in Archetypal Symbolism (COR)/ Moon, Beverly Ann
Shambhala Pubns
1997/05発売
ISBN : 9781570622502
Kern, Hermann
PRESTEL
2000年発売
ISBN : 9783791321448
■渦巻くかたち・五感をひらく
どっしりと座る正方形。まるいかたちは完全調和を感じさせる。めくるめく陶酔感で人びとを魅了する渦巻くかたち――。どのようにして渦が生まれるのか。かたち誕生のダイナミズムを、シュベンクの著作が鮮やかな手法で解きあかす。左vs右の対称性・非対称性を精緻に論じたガードナー本は、宇宙現象のことごとくが彼の視野の内にあることに驚かされる。
一方、ホールやユクスキュルの著作は、人間関係に潜む見えざる知覚世界や、人間以外の生き物たちが感知する環世界・多主語的な感覚世界の多様さを、意表をつく事例で教えてくれる。生成の根源に潜むノイズの活力、混合体の哲学を熱く語るセールの饒舌も感動的だ。
朱捷の本は、香りと音(言葉)の共感覚を繊細に論じて、日・中文化の連鎖の深さに改めて気づかされる。
Breidbach, Olaf
PRESTEL
2006年発売
ISBN : 9783791336640
■漢字の力
書家・井上有一は、「塔」の一字書を、口・一・八...と下から上に積みあげて書き記した。地霊のざわめきに感応した書家が、全身の力で書きあげた、文字建築の建立である。
一方、原初の漢字・甲骨文の研究で知られる白川静は、「漢字は線によって構成される。...横線は分断的であり、否定的であり、消極的な意味をもつ。これに対して縦画は、異次元の世界を貫通するものである。それは統一であり、肯定であり、自己開示である」...と説く(『文字逍遥』)。
身体を賭け、漢字の一点一画が秘める内なる力に挑もうとする書家。一点一画に文字の呪能を感じとり、「文字は神である」ことを解き明かそうとする漢字学者。異なる視点で漢字に迫る気迫の文字論が、二人の本にぎっしりと詰めこまれている。
拙著『文字の美・文字の力』も手にとってほしい本の一つ。
■スギウラ・ブックス [「本」の妙を伝えたい]
最後に、ブックデザインを手掛けた本および編・著書の中から、数冊。稲垣足穂『人間人形時代』は、足穂コンセプトの一つであるAO円筒から発想した孔のあいた本。三部作の第二セクションでは、文章の周囲を、マイブリッジのイメージがフリッカー仕掛けで跳びまわる。製本所ならぬ町工場の旋盤工のもとに行き、奇妙な孔あき本が生まれでた。この孔から世界を覗き見ようとしない人がいるだろうか・・・。
また、音楽好きな私は、作曲家が綴る本のデザインにはつい力が入る。たとえば佐藤聰明の『耳を啓く』。文章の背景にひろがる雰囲気を次つぎに替えて、全ページが移動する屏風絵のようなデザインを試みた。西村朗の『光の雅歌』、『武満徹 音の河のゆくえ』ともに、手をかけたプロセスが忘れられない。
自著の5冊の「万物照応劇場シリーズ」では、数多くの図像をとりあげ、アジアに伝わるカタチの意味を推論した。シリーズでありながら出版社が異なっている。その中の一冊『宇宙を叩く』は、日本の火焔太鼓と古代中国・韓国に伝わる建鼓を対比させ、太鼓の神話的な造形の由来を解き、アジア古来の楽器のダイナミズムを考察した。今年からは、エッセイ集の第一弾『多主語的なアジア』が新たなシリーズとしてスタートしている。
私は、自分の手でデザインした本を「作品」と呼ぶことにためらいを憶える。絵画や工芸品の制作とは異なり、本は多くの人の発案や手間・手続きを経て生まれでる。世に出た本は、読者にとって一生手放せない座右の書として落ち着くこともある。
本は多くの人の手をへて生まれ、その生命を全うする多主語的な存在である。かけがえのない本が、たった数枚の紙から始まるのである。「妙なること」このうえない。
ウギェン・ドルジ、ドルジ・ワンモ・ワンチュック(ブ−タン王 / 平河出版社
2004/10出版
ISBN : 9784892033278
¥5,775 (税込)
アジアの本・文字・デザイン 杉浦康平とアジアの仲間たちが語る
杉浦康平 / DNPグラフィックデザイン・ア−カイブ
2005/05出版
ISBN : 9784887521964
¥2,940 (税込)
「じんぶんや」とは?
こんにちは。じんぶんやです。
2004年9月、紀伊國屋書店新宿本店に「じんぶんや」という棚が生まれました。
「じんぶんや」アイデンティティ1
★ 月 が わ り の 選 者
「じんぶんや」に並ぶ本を選ぶのは、編集者、学者、評論家など、その月のテーマに精通したプロの本読みたちです。「世に溢れかえる書物の山から厳選した本を、お客様にお薦めできるようなコーナーを作ろう」と考えて立ち上げました。数多の本を読み込んだ選者たちのおすすめ本は、掛け値なしに「じんぶんや」推薦印つき。
「じんぶんや」アイデンティティ2
★ 月 が わ り の テ ー マ
人文科学およびその周辺の主題をふらふらと巡っています。ここまでのテーマは、子どもが大きくなったら読ませたい本、身体論、詩、女性学...など。人文科学って日々の生活から縁遠いことではなくて、生きていくのに案外役に立ったりするのです。
ご愛顧のほど、どうぞよろしくお願いします。
「じんぶんや」バックナンバー
こちらのページから今までの「じんぶんや」をご覧いただけます。
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【じんぶんや第66講】 杉浦康平選「一枚の紙、宇宙を呑む」
■場所 紀伊國屋書店新宿本店 5Fカウンター前
■会期 2010年11月18日(木)~2011年1月10日(月)
■お問合せ 紀伊國屋書店新宿本店 03-3354-0131





































































