【じんぶんや第59講】 亀山郁夫選「共苦と同感のコスモス―わたしの心の扉をたたいた書物たち」
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亀山郁夫さんエッセイ「共苦と同感のコスモス―わたしの心の扉をたたいた書物たち」
はじめに、または、運命の力
≪文学って何なんだ? 文学と文字はどうちがう? 文学って、小説を読む人間の心の状態? 心の状態を批評的に語る営み? 文学って学問なのか? それとも生きる経験そのもの? 生きる経験そのものなら、どうして「学」なんて一文字が含まれている? 何かを学ばなくてはならないとしたら面倒くさいな。それだったら、文学と人生論の境界そのものがあやしくなるじゃないか。そもそも「学」は学問の学? 「文」に「学ぶ」なのか、「文」を「学ぶ」なのか?≫
しかし、こうして果てしなくつづく独り言などお構いなしに、毎日、小説や詩は生まれつづける。いっそのこと、すべての迷いを捨てて、扉を叩いてしまえばいい。
≪ちょっと、待って。本を読むのがこのわたしであることに変わりはないにしても、わたしが本の扉を叩いて本を読むってわけか? それとも、本がわたしの心の扉を叩いて、わたしの心を読んでくれるのか。少しここは考えたほうがいいみたいだ。そもそも、わたしの人生が世界という宇宙の塵のごとき存在なら、本との出会いだって、たんに運命の産物ってことになる。むしろ、本がわたしを訪ねてくれたって考えたほうが、何だかとても美しい気がする≫
わたしは、いま、還暦1年生。老いについて、真剣に考えはじめている。
人間は、生まれ、育ち、熟し、やがて老いる。老いはじめた自分の顔や友人たちの顔を眺めながら、人生と生命の残酷さをなげく。老いた顔を見て、美しいと思うことはまれにしかない。少なくとも目で見るかぎりにおいて。でも、老いた顔といっても、たんに顔、たんなる表面にすぎないではないか。老いた顔にも、目は、耳は、鼻は、口はあるではないか。老いた顔をじっくり見る必要はない。老いた顔はそのままに見れば、そしてただ見られればよいのだ。
では、老いた顔、老いた皮膚の向こうにある可能性とは、何か?
たとえ老いても、静かに感情する主体でありつづけたい。かりにもし、喜びも、悲しみも、怒りも、恐怖も、つねにいきいきと経験できる主体でありつづけることができるなら、老いも一概には不幸な状態とは言えないだろう。
では、肝心のわたしは、わたしの心はどうなのか? わたしの目と、耳と、鼻と、口と、皮膚のこちら側に、何かしら自分に対して誇ることのできるものがあるだろうか。
こんなわたしの独り言を喜んでくれる読者は少ないと思うが、還暦から1年を経て、思いがけず気づかされたことがある。本の読み手として、こんなわたしでありながら、なかなか興味深い境地に近づくことができたということだ。うれしい発見だった。つまり、これからでもまだまだ本に、つまり世界にのめり込めるのだ。選り好みがはげしかった若い時代には読めなかった小説が、いまは読める。不思議である。ひと月前、わたしは、45年ぶりに夏目漱石の『こころ』を取りだし、その峻烈なドラマに引きこまれた。こんなにすごい小説だったのかと驚きを新たにした。老いて、初めて理解できたと思った。その直後、今度は、大江健三郎の最新作『水死』を読み、これにもまた圧倒されてしまった。凄いし、凄まじい。この『水死』が、『こころ』のパロディとしても構築されていることが、経験を異常な深さへと導いてくれた。何という偶然か! 45年ぶりの『こころ』の読書が、『水死』の読書と重なりあうなど! 何がしか、見えざる恩寵(おんちょう)によってわたしは生きて、感情している、と思った......。とすると、やはり、「わたしが本の扉を叩く」のではなく、「本がわたしの心の扉を叩いてくれた」と考えたほうが理にかなっていることになる。そのほうが、大いなる運命の力にたいしてより敬虔(けいけん)な態度と呼ぶことができる。
亀山郁夫(かめやま・いくお)さんプロフィール
東京外国語大学学長。
1949年生まれ。東京外国語大学学長。著書に、『甦るフレーゴニコフ』(平凡社ライブラリー)、『ロシア・アヴァンギャルド』(岩波新書)、『磔のロシア』(岩波書店)、 『熱狂とユーフォリア』(平凡社)、『ドストエフスキー父殺しの文学』(NHKブックス)、『「悪霊」神になりたかった男』(みすず書房)、『「カラマーゾフの兄弟」続編を 空想する』(光文社新書)、『ドストエフスキー』(文春新書)、訳書に、ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』、同『罪と罰』(以上、光文社古典新訳文庫)などがある。
亀山郁夫さん選書リスト
悲劇的なものに魅せられ ――10代前半の読書
わたしは典型的なブンガク青年だった。人生のスタート時点において、わたしほど、「理想的な」ブンガク青年は、そうざらにはいないのではないか、とさえ思う。もっとも、その幸運は、10代半ばの2年間しか続かなかった。ただし、その2年間が決定的な意味を帯びることになった。わたしはこれまでずっと、不幸な10代を送ったという漠とした思いに苛まれ、その思いが澱のように記憶の底に淀んでいるのを感じていた。わたしの遺伝子は、どこかで決定的な傷を負っているという理由のない覚え・・・・・・。
しかし最近、それはたんなる思い込みにすぎなかったのではないか、と反省するようになった。記憶の錯誤、ノスタルジーのバイアス。そうした思い込みに反して、現実にわたしの10代は、ことによると、わたしがもっとも幸せだった時代、黄金時代だったのではないか、と。なぜなら、この時代の5、6年間、世界のすべてが、あたかも本のなかの出来事のように、ひどく幻想的な姿で立ちあらわれていたからである。わたしはじっさいに世界に魅了されていた。自分ではなく、日本ではなく、遠い、遠い、西の世界に。そしてその世界にも、恋や、愛があり、悲しみや、不幸がある、という事態ほどわたしをやさしく慰めてくれるものはなかった。ひたすら西に憧れていた。「ふらんすへ行きたしと思へどもふらんすはあまりに遠し」(『萩原朔太郎詩集』新潮文庫)である。
わたしの人生のすべての出発点になったのは、ドストエフスキー『罪と罰』である。とにもかくにも、出会ってしまい、読んでしまった。わたしにとって『罪と罰』の体験は、多少大げさに聞こえるかもしれないが、運命的といった言葉でしか言いあらわすことのできない激烈な何かであった。殺人犯ラスコーリニコフに完全にシンクロしてしまったし、シェークスピア『マクベス』の主人公さながら、手から血の匂いが消えない、とまで口走っていた。いったん、小説の世界と同化してしまうと、なかなか次の本に手が出せなくなる。わたしもいったんはそう思いかけた。しかし誘惑は断ちきれなかった。事実、二度と本は読まないと決心しながら、それから2カ月後にはもうエミリー・ブロンテ『嵐が丘』に手をつけていた。ただし『罪と罰』ほどの同化は起こらなかった。わたしはひたすら外部から小説をながめ、風に吹かれて原野に立ちつくすヒースクリフの浅黒い顔と、キャサリンの白い肌を思い浮かべていた。今にして思えば、わたしの人生の隠された主人公は、今もってなお、『罪と罰』と『嵐が丘』、いやラスコーリニコフとヒースクリフなのかもしれない。『嵐が丘』のあとには、『ハムレット』に、これも出会ってしまった。テレビの番組で、『ハムレット』の映画を観たのがきっかけだったような気がする。ハムレットのカッコよさに憧れ、高校では、ハムレット役者となることを夢見て演劇部に入った。だが、やらせてもらえた役は、清水邦夫のデビュー作『署名人』のなかの獄吏の役。「だまらっしゃい」というセリフをひとつはいて、わたしの「演劇人生」は終わった。
感傷の甘い時間 ――10代後半の読書
10代の後半、わたしはなぜか徐々に「幼稚化」していった。幼稚化という言葉が正しくなければ、感傷化である。毎日がすばらしい感傷の波に満たされていた。わけもなく甘く、切なく、むなしく、悲しいのだ。脳のどこかで特殊なホルモンが分泌されていたとしか思えない。もしも、あのときのあの甘い時間を取りもどすことができたら......とくに秋から冬にかけては、今思いかえしても異様なくらい、感傷のなかで明け暮れしていた。シュトルムの『みずうみ』を真似て幼稚な小説を書き、シェークスピアの『ハムレット』を真似て幼稚な戯曲を書いていた。舞台はデンマークではなく、アイスランドだった。受験勉強はまったく手につかなかった。その一方、感傷の時間が過ぎると、感傷はなぜか不条理なものへの憧れに転じていった。今も不思議に思うのだが、十代の後半に、なぜ、カフカ(『変身』)やら、ベケット(『ゴドーを待ちながら』)やらを好んで読んでいたのか。きっと悲劇的なものへの憧れと、不条理なものに対する好奇心は、どこか地下水脈でつながっていたのかもしれない。では、その地下水脈の正体とは何だったか? それは「人生のむなしさ」である。感傷とニヒリズムは同義語だ、とわたしは思うようになった。先ほども少し書いたが、自分が何かしら漠然と感じている「傷」を癒してくれるのは、そうした「むなしさ」しかなかった。「むなしさによって、すべては許される」という奇妙な理屈にはまりこんでいた。
高校時代の読書で決定的な意味をもったのは、『こころ』と『カラマーゾフの兄弟』である。しかし両者ともに、むろん『罪と罰』ほどの刻印的な意味をもつことはなかった。『こころ』が当時のわたしにとって苦しい読書となったのは、そこに描かれた悲劇的な三角関係のなかに置き換えられた自分が、「先生」のそれではなかったという点に尽きる。わたしのイニシャルがK(Kameyama)であることも手伝って、むしろ自殺するKの立場に自分を置いていた。そこには、今もって容易には語りがたい真実がある。しかし、もう許されるだろう。当時のわたしは、ある架空の三角関係に苦しんでいた。自分の憧れている人がわたしの友人を好きなのではないか、という疑い(笑)。トーマス・マンの『トニオ・クレーゲル』を読んだときにも、同じく辛い感慨をいだかされた。文学好きで、将来は文学の勉強をしたいと願っている人間の多くが、少なからず感じている敗北感。トニオは、わたしだった。
世界は多様である ――20代前半の読書
10代の終わりから20代のはじめにかけて、わたしはドストエフスキー狂いの生活にはまっていた。まず『白痴』を読み、「完全に美しい」青年であるムイシキン公爵に憧れ、ムイシキン公爵のような聖なる人間になりたいと願っていた。ある一定の年齢まで、わたしはつねに、ある聖なる雰囲気をたたえている同性の友人に対して、強いプラトニックな愛情を感じつづけていた。その感覚はとても懐かしい。『白痴』を読んだわたしは、ナスターシヤ・フィリッポヴナでも、アグラーヤでもなく、まっさきにムイシキン公爵に憧れた。同じようにして『悪霊』では、悪魔的な主人公ニコライ・スタヴローギンに魅了された。ことによると、そうした極度にプラトニックな愛の観念が、わたしをアンドレ・ジイドに向かわせたのかもしれない。ジイドの小説は、すべてが好きである。学園紛争で日本中が燃えさかるなか、ジイドが好きとは、口が裂けてもいえなかった。筆頭に挙げたいのは、ひとりの盲目の少女を愛する父と子の葛藤を描いた『田園交響楽』である。この小説は、わたしがやがて関心をいだくフロイト的な「父殺し」とどこかで通じ合っていたのかもしれないと、今にして思う。それはパゾリーニ監督の映画『アポロンの地獄』を観たことにより、さらに決定的な意味を帯びるにいたった。わたしがギリシャ悲劇に接したのは、この映画に触発されて読んだソフォクレスの『オイディプス王』が初めてである。わたしがこの戯曲にいたく興味をそそられた背景にあったものが何かを考えると、やはりどこかジイドの影を感じないわけにはいかない。面白いことに、悲劇的なものと不条理なるものへの関心の併存は、その後も長くつづいた。
ドストエフスキーと並行して、カミユへの関心が生まれはじめた。『シーシュポスの神話』は、『異邦人』以上に衝撃的だった。『カリギュラ』は何とフランス語で読んだ。反面、1960年代の終わりはJ・P・サルトルにかぶれた一時期でもある。これには、大学時代の友人で民俗学者である坂内徳明からの絶大な影響があった。カミユではなく、サルトルを読めとつよく薦められた。「アンガージュマン」という言葉を教えられた。「自己投企」という概念をつかむため、『実存主義とは何か』をなんど読み返したことか。しかし、悲劇的なものに惹かれ、人生は不条理であるという認識にどこかで蝕(むしば)まれ、何ごとにも受身で、運命論的な立場を愛していた当時のわたしからすると、サルトルの実存主義は、どこかあまりに楽天的すぎるように思えた。しかし、自分を未来に投げ出し、そこに自分を賭けるという「意志」の哲学は、それなりにわたしのその後の人生観に大きな支えとなってくれた。1970年6月15日、ベ平連のデモの列に加わり、催涙弾のなかをくぐりぬけたのも、サルトルの影響である。といってもそれはたんなるアリバイ作りに過ぎなかったのだが・・・・・・。そして、学園紛争の嵐が終息しようとするその時期、連合赤軍事件が起こった。その衝撃のなかでドストエフスキーの『悪霊』をロシア語で読んだ。事件は救いがたく不幸だったが、わたしの『悪霊』との出会いは幸運だった。ただ、わたし自身はほとんど『悪霊』が描きだそうとした革命への憎悪にも、秘密結社の政治力学にも関心をもてず、ひたすらスタヴローギンの「告白」の謎を解きあかそうと考えつづけていた。「わたしは神さまを殺してしまった」というあの少女の一言以上に重い言葉を、ドストエフスキーのほかのどの小説に見いだせようか。
アヴァンギャルドと収容所 ――20代後半の読書
20代後半、大学院での研究が進むにつれ、わたしは幅広く読書することに関心をもてなくなって、結局のところ、専門書とアルコールの間を行ったり来たりする堕落した毎日を送らざるをえなくなった。好んで飲んだのは、「カティサーク」だった(それは、ま、どうでもよいことだが)。ロシア文学の道でこれから生きていくには、ドストエフスキーを捨てることが不可欠であることがわかっていた。他人に同化しやすく、涙もろいわたしに、ドストエフスキーを学の対象として客観化するだけの力がないことがわかったのである。そこで、ドストエフスキーと対極にある(と思われる)ロシア・アヴァンギャルド芸術の研究に、(意志的に)取り組みはじめた。涙とは無縁になったが、もともと感傷的な人間には、かなりつらい試練だった。
そのなかで、大いなる導きの星となってくれた本が水野忠夫の『マヤコフスキイ・ノート』である。ただしこの本に出会ったおかげで、わたしは軌道修正を迫られることになった。というのも、ドストエフスキーから離れたわたしは、すでにマヤコフスキーの詩と、人となりに魅了され、少なくともこれから10年間は関わりつづけるテーマと決めていたからである。『ノート』は、ドストエフスキーに長く囚われの身となっていたわたしにとって、たとえようもなく新鮮だった。アヴァンギャルドの研究を進めていくためには、自分という古い衣を脱ぎ、自分の体を根本から鍛え直さなくてならないと思うようになった。こうして「自分革命」とでもいうべき作業に取り組みはじめたのだ。それまで好きだったブラームスを聴くのをやめ、耳になじむまでストラヴィンスキーの不協和音に耐えつづけた。悲劇的なものではなく、五感にストレートに働きかけてくる、刺激的な音楽を愛するようになった。しかしそれでも、マヤコフスキーにはどこかドストエフスキーの登場人物を思わせるところがあると感じられて、彼からも断じて離れていなければならないと考えた。そしてついに辿りついた詩人が、マヤコフスキーと対極をなす未来派詩人ヴェリミール・フレーブニコフである。マヤコフスキーを太陽にたとえるなら、フレーブニコフは夜空に浮かぶ月を思わせるところがあった。太陽から月へ。勇気ある決断だったといまも思う。わたしは、この詩人との出会いからじつに15年、彼の伝記の執筆に没頭するのだが、その間、専門上の関心を離れて夢中になった本が2、3ある。ソルジェニーツィンの国外亡命という事態に触発されて読んだ『収容所群島』とフランクルの『夜と霧』である。ことによると、まだ、『死の家の記録』を書いたドストエフスキーへの未練を引きずっていたのかもしれない。思えば、太宰治という作家にはじめて出会ったのも、この時期のことである。兄に薦められて『ヴィヨンの妻』を読んだ。『人間失格』は、最後まで読みとおすことができなかった。感化を恐れたのである。いや、修業が足りなかったのだろう。しかしそのおかげで、それから35年後、わたしは太宰との新しい出会いを経験することができた。
ポスト構造主義についていけない ――30代の読書
30代は、ヴェリミール・フレーブニコフという詩人への献身によって、わたしが何ひとつ外にむかって発信できなかった時代である。われながら呆れるほどの集中力。『甦るフレーブニコフ』を執筆中、わたしがとりわけ鮮烈な印象を受けた本が2冊あった。それが、中沢新一の『チベットのモーツァルト』と丸山圭三郎の『文化のフェティシズム』である。そこには、わたしがまるで知ることのできなかった世界を分析する方法が記されていた。自分のアヴァンギャルド研究がいかに時代遅れなものであるかを痛感させられ、このままでは永久に浮かばれないかもしれないと直観した。詩人の研究がたんなる伝記的な読みものに堕することを恐れて、自分なりにポスト構造主義の理論の摂取に心がけた。まずは構造主義の理解からと考え、レヴィ=ストロースの『野生の思考』を手にとった。「ブリコラージュ」(手仕事)という概念が新鮮で、ロシアの芸術家たちの仕事には、どこか日曜大工的なぬくもりがあると感じた。当時『甦るフレーブニコフ』を執筆中のわたしが、言葉づかいなどをふくめ随時参照していた本がある。わたしにとって密かなライバル、菅野昭正の『ステファヌ・マラルメ』である。この本に負けたくないとの必死の思いを胸に、徹底して文体の練磨に励んだ。『ツァラトストラ』は、フレーブニコフ研究の一環として読んだ。
またこの時期、わたしが偶然手にして読んだ本の一冊が、加賀乙彦の『宣告』である。テーマはドストエフスキー的ながら、どこかトルストイ風の緻密な文体で書かれたこの小説を読みながら、自分がいま勤しんでいるアヴァンギャルド研究が、どこか自分本来の仕事とは異なっているという予感をもった。ロシア文学とアヴァンギャルド芸術は、みごとといえるほど乖離していた。伝統的なロシア文学へのノスタルジーが少しずつ湧き起ってくるのを感じた。しかし、「ロシア文学に戻るのはまだ早い、もう一度そこに近づくには、逆にまだもっと離れていなければならない、遠回りを重ねなくてはならない」という思いもあった。ロシア文学者として羨望の一冊、それが沼野充義『永遠の一駅手前 ――現代ロシア文学案内』である。当時、ハーバード大学から戻ってまもない沼野は、もうわたしなどの凡才にはとうてい近寄りがたい存在だった。ロシアモダニズムと現代文学に容赦なく切りこんでいく彼の華々しい活躍にどれほど羨みを覚えたことか。
全体主義文化は面白い ――40代の読書
アヴァンギャルド詩人ヴェリミール・フレーブニコフの生涯をたどった『甦るフレーブニコフ』を上梓した1989年から、わたしの人生は大きく変わった。中沢新一氏の評(「1980年代に書かれた最良の書物」)に大いに勇気づけられたのである。しかしそれでも、「アヴァンギャルド研究はもう潮時だ」との思いが日に日に強まっていった。そんな時期に、一年間のモスクワでの在外研究の機会を得ることができたのは幸いだった。やがてわたしの研究に新しい登場人物が現れた。だれあろう、ヨシフ・スターリンである。
1994年、わたしは、詩人ウラジーミル・マヤコフスキーの伝記を書くためにモスクワに滞在していた。1930年4月にピストル自殺を遂げたこの詩人の死の原因を明らかにしようとする少々風変わりな伝記で、基本的には最後の3年間しか扱わない。ところが、資料集めの段階で、何とこの詩人は、ピストル自殺ではなく、当時の秘密警察に謀殺されたと主張する一連の資料が手に入った。そこでわたしは、この時代のもつ悲劇性を、たんに詩人の内在的なプリズムを通して見るだけでは何もわからない、歴史研究に入りこまなくてはならない、巨大な政治権力のなかで生きる芸術家のサバイバルという新たな視点で20世紀ロシアを捉えなおさなくてはならないと考えるようになった。ロシア研究者さえ手にとらないような邦訳の文献を手当たり次第読み、自分のスターリンないしスターリン時代観を作りあげようと企てた。そこで生まれた言葉が、「二枚舌」だった。わたしのいう「二枚舌」とは、たんに「嘘をつく」ことでもなければ、面従腹背の意味でもない。権力への賛美と批判を同時におこなう舌の動きをいう。それを研究しようと考えたのだ。ペレストロイカの終焉、いやソ連崩壊からすでに4年近い歳月が経過していたが、わたしのなかではまだ社会主義ソ連への幻想と未練がくすぶっていた。わたしにはどこか全体的な力を愛する危険な傾向があることに気づかざるをえなくなった。
この頃の読書の中心は小説だったが、著しく体系性を欠いていた。島田雅彦の小説に、村上春樹とは別の意味での「快楽」を味わうことができた。若い頃に読んだ島田の「スピカ 千の仮面」(『夢遊王国のための音楽』(品切)に収録)や『未確認尾行物体』は、この現代においてこそ読まれるべき小説ではないだろうか。島田雅彦の天才は、時代の流れよりも20年早く花開いてしまった。しかしとにもかくにも、彼のテクストに含まれたアイロニーのさじ加減をどう味わえるかにかかっている。島田雅彦の《無限カノン3部作》(『彗星の住人』、『美しい魂』、『エトロフの恋』)は、村上春樹『1Q84』の対極にある、一種の音楽小説である。こっちがカノンであれば、むこうはフーガ。音楽体験は、小説体験を少なくとも二倍豊かにする偉大な酵母である。南洋の架空の島を舞台にした池澤夏樹の『マシアス・ギリの失脚』に惹かれたのは、わたしが独裁者のテーマに関心を持ちはじめたせいもあったのだろう。わたしの五十年近い読書歴のなかで、自分でも特異と思える小説作品がある。それは宮本輝『ドナウの旅人』である。宮本輝の小説を読んだのは、後にも先にもこの一作のみだが、かりに友人に薦められることがなければ、一生手にしなかったと思う。当時、特殊な心理状態にあったわたしは、むさぼるようにしてこの本を読み、その数年後には実際にドナウを旅してしまった。いずこにも物語はある!
わたしが作家になれたら、まずはこんな本を書きたいと願ったのが、辻原登の『村の名前』とクンデラの『別れのワルツ』。ドストエフスキーかぶれのわたしがなぜ、とお思いになるかもしれないが、思えば、わたしがもっともドストエフスキーから遠ざかっていた時期の読書ということもある。『別れのワルツ』で反復される「運命」のライトモチーフは、わたしを再びドストエフスキーに向かわせてくれたひとつのきっかけといってもいい。実際に、わたしはドストエフスキーに再会するためのウォーミングアップを続けていたのだ。それが、江川卓『謎とき「罪と罰」』であり、ゲーテの『ファウスト』だった。
「共苦」と「黙過」がわたしの主題 ――50代の読書
「9.11」の日、わたしはロンドンにいた。ツインタワー崩落のシーンと、窓から落ちていく「ジャンパー」たちの姿をホテルのテレビで飽かず眺めるうち、わたしは一種の既視感にとらわれた。ドストエフスキー『悪霊』のワンシーンである。主人公ニコライ・スタヴローギンは、自分が凌辱した少女が首をつりに中庭の物置に歩いていく光景をアパートの四階から目撃する。少女が死を決意していることをわかっていながら、救いに行こうとはしない。この瞬間、スタヴローギンは、自分が神の代理人であることを意識していた。そう、ツインタワー崩落を見ている人々全員が、神になったとわたしは感じたのだ。多少作り話めいて聞こえるだろうが、わたしがドストエフスキー熱に再び取り憑かれるにいたった遠い背景にはこの事件がある。といっても、当時はまだスターリン時代の文化研究との二足のわらじだったし、「ドストエフスキー研究をはじめる」といっても、自分でもどこか半信半疑のところがあった。メインのテーマは、スターリン時代の政治権力、いや検閲と創造的知識人の闘いだった。ところがいつのまにか、このスターリン時代が、ドストエフスキーが生きた19世紀後半のロシアにオーバーラップしていったのである。
読書方面での50代は、充実の時代である。ドイツ出張の道づれにと思って持ち込んだ米原万里の『オリガ・モリソヴナの反語法』のおかげで、帰りのチケットをなくしてしまった。それほど夢中になって読みふけったのだ。現代とスターリン時代の二つの時代をつなぐ『反語法』は、タイトルから連想される中身とはおよそかけ離れた、神がかり的といってよい小説である。ソ連崩壊の現場に立ち会った佐藤優のドキュメンタリー『自壊する帝国』を読みながら、この書き手の、やはり神がかりともいうべき記憶力に驚嘆させられた。ソ連崩壊は、佐藤が演出したのではないかと思えるほどの臨場感にあふれるセミドキュメンタリーだった。わたしの辻原熱はまだ続いていて、「母、断章」「父、断章」といった小品に、マザーコンプレックスのわたしには痛く刺激させられた。どうしてこんな小説が書けるのか。彼もまた神がかりである。わたしが村上春樹の小説にはじめて出会ったのははるか昔のことだが(『中国行きのスロウ・ボート』)、彼の世界にふたたび回帰するきっかけとなったのは、『アフターダーク』である。クンデラとドストエフスキーをミックスして2で割ったような不思議な小説で、その謎めいた雰囲気がとても気に入った。『アフターダーク』から、逆に『海辺のカフカ』へと後戻りすることになった。わたしの印象では、『海辺のカフカ』は過小評価されすぎている。『1Q84』も文句なしに楽しめたが、どちらが好きかと問われたら、『海辺のカフカ』を挙げる。村上がなぜ「父殺し」にこだわるのかはわからないが、村上とドストエフスキーとの間には、「エディプスコンプレックス」という聖域が垣間見える。
9.11に戻るが、わたしはこの事件をきっかけにして、人並みにグローバリズムの問題にも関心を持つようになった。テオ・アンゲロプロスの映画『ユリシーズの瞳』をとおして、遅まきながら、1990年代のバルカン半島の悲劇への関心が深まった。ソンタグ『他者の苦痛へのまなざし』は、長いこと「黙過」ないしは非行為性のもつテーマを考えつづけてきたわたしに刺激的な示唆を与えてくれた本である。「黙過」する側の人間の犯罪性を問うだけでなく、「黙過」される側の人間の叫びに耳を傾けなくてはならないのだと思った。グローバリズムの流れに対しては、なぜかしら複雑な感慨を抱いていた。巨大な津波のように、個人の力を洗い流してしまうその渦に翻弄される心地よさは、どこか心の奥深くに根深く巣くうマゾヒズムと響きを交わしているように思えた。しかし、そのマゾヒズムを克服するヒントは、ネグリとハートの二冊の本(『帝国』、『マルチチュード』)によってもたらされた。といって、わたしはまだその二冊とも最後まで読みきれていない......。
ジョレス・アレクサンドロヴィチ・メドヴェ、ロイ・アレクサンドロヴィチ・メドヴェ−デ / 現代思潮新社
2003/03出版
ISBN : 9784329004284
¥7,140 (税込)
共苦と同感のコスモスへ――60代の読書
ちいさな思い出をひとつ語ろう。
1980年代初めの春、父と母が奈良にすむわたしたちの家を訪ねてきて、一家で吉野に花見に出かけた。夕刻帰宅したあと、母がとつぜん気分が悪いと言い出し、洗面所に立った。母は、トイレで嘔吐し、洗面台の前でも苦しそうにしていた。居間でテレビを見ていた父が立ち上がり、母のそばに近づきながら、奇妙な笑い声を立てた......老いることの無残さを思い知らされた事件のひとつである。
わたしはいま、若い時代にあれほど怖れていた還暦というときを現実にむかえながらも、世界のなかで人並みに感情できる老いの喜びをかみしめている。人の悲しみや苦しみにも素直に同化できるような気がする。燃えつきようとする蝋燭の炎の比喩を持ちだすには、まだまだ早いと思う。そのように自信をもって語れるのは、50代の後半に『カラマーゾフの兄弟』と『罪と罰』の翻訳を終えたことが大きく影響している。これら二つの小説の翻訳で、世界を見る目が変った。何よりも、小説の長さにおびえることがなくなり(笑)、間歇的ながらも、青春時代にはほとんど経験できなかった乱読の楽しさを味わうことができるようになった。ともかく何でも読める。わたしはまず、飢えた狼のように『1Q84』に飛びついた。『1Q84』を楽しむには、何としても、理性と心のブレーキを解くことが必要である。想像力のなかでの冒険なのだから、それは許されるだろう。時をおかず、辻原登『許されざる者』に飛び移った。そして、多くの読者がおそらくは挫折を味わっているにちがいない高村薫『太陽を曳く馬』には、なんと二度の「登攀」を成功させた。『太陽を曳く馬』の何がすばらしいか、いま、ここでそれを詳細に説明するわけにはいかない。独りよがりな感想かもしれないが、二度の「登攀」で発見できたのは、この小説が、日本におけるドストエフスキー受容のひとつの到達点を記すものということだ。そして一年の終わり、わたしが長い間待ち焦がれていた小説がついに登場した。大江健三郎の『水死』である。『カラマーゾフの兄弟』の「父殺し」がどこかで意識されていることはいうまでもない。フレイザー『金枝編』に出てくる王殺しのモチーフがそれを暗示している。『水死』は、ひとりの女性の、虚空をつき破るような深い悲鳴で閉じられる(それがわたしの印象である)。
そして最後にもうひとつ、ちいさな告白である。恥ずかしながら、わたしは還暦をむかえてはじめて太宰治の『斜陽』を読み、はげしく心を揺さぶられた。むやみに世界を対象化し、批判する必要などない。むしろひたすら同化を心がけることが必要だ。共苦と同感なくして、どこに喜びが存在するというのか? 老いた人間であればこそ、それは可能となるだろう。わたしはいま心をうつろにして、書物たちの訪れを待ちうけている。いつ、運命の書物たちはわたしの心の扉をノックしてくれるのか、と。
亀山郁夫さん著書
責任編集|亀山郁夫+望月哲男
【ドストエフスキー新訳】チーホンの庵室で/ ドストエフスキー(訳・解説|亀山郁夫)
【対談】平野啓一郎+亀山郁夫|亀山郁夫+望月哲男
【インタビュー】ドストエフスキーの世界性/ 沼野充義(聞き手|亀山郁夫)
ゲルギエフとサンクトペテルブルグの奇蹟 マリインスキ−劇場のサバイバルと挑戦
ジョン・ア−ドイン、亀山郁夫 / 音楽之友社
2006/01出版
ISBN : 9784276217867
¥5,460 (税込)
「じんぶんや」とは?
こんにちは。じんぶんやです。
2004年9月、紀伊國屋書店新宿本店に「じんぶんや」という棚が生まれました。
「じんぶんや」アイデンティティ1
★ 月 が わ り の 選 者
「じんぶんや」に並ぶ本を選ぶのは、編集者、学者、評論家など、その月のテーマに精通したプロの本読みたちです。「世に溢れかえる書物の山から厳選した本を、お客様にお薦めできるようなコーナーを作ろう」と考えて立ち上げました。数多の本を読み込んだ選者たちのおすすめ本は、掛け値なしに「じんぶんや」推薦印つき。
「じんぶんや」アイデンティティ2
★ 月 が わ り の テ ー マ
人文科学およびその周辺の主題をふらふらと巡っています。ここまでのテーマは、子どもが大きくなったら読ませたい本、身体論、詩、女性学...など。人文科学って日々の生活から縁遠いことではなくて、生きていくのに案外役に立ったりするのです。
ご愛顧のほど、どうぞよろしくお願いします。
「じんぶんや」バックナンバー
こちらのページから今までの「じんぶんや」をご覧いただけます。
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【じんぶんや第59講】 亀山郁夫選「「共苦と同感のコスモス―わたしの心の扉をたたいた書物たち」」
■場所 紀伊國屋書店新宿本店 5Fカウンター前
■会期 2010年3月15日(月)~4月18日(日)
■お問合せ 紀伊國屋書店新宿本店 03-3354-0131














































































































